先日、子どもたちの夢について学校での話を聴く機会がありました。
自学という時間に、自分の夢を書きなさいというものです。書かないと帰れないというのでみんなそのプリントの例から選択したり、周りをみながら必死に自分の夢を選び書くそうです。そういえば、昔、小学校の時、同じように将来の夢について書いてくる宿題があった気がします。
その時は、みんな野球選手とかサッカー選手、飛行機のパイロットや、学校の先生などと書いていて、周りを見ながら自分なりになりたい職種職業を書いたものです。
しかし、これはよく考えていると今の社会問題ともつながっている気がします。
もともと夢とは何かといえば、職種や職業になることではなくそれを通して自分が何をしたいか、どうありたいかというものが本来の夢であるからです。就職面接も自分をしっかり持たないで来る人が多いのは自分の夢を漠然を職種職業の中のものだと思っているからのような気がします。
例えば、最初は大工さんという職種でもいいのですが実際に大工になってどうしたいのかと掘り下げて聴いてあげると、「人が元気になる家を創りたいとか、家族がずっと幸せでいられる家を建てたいとか、永遠に壊れないような記憶に残るものを設計したい」とか、そこに本来の夢の置き場があるのです。
それを単に職業=夢にしてしまえば、就職したら違かったと転職を繰り返すようになるのも無理はなくそれは夢ではなく刷り込みであろうと思うからです。よく就職したばかりの新人が、入ってみたけれど違かったとすぐに退職したり転職するのは、その前に自分の初心を自ら確かめ信じていないからのように思います。
もしも自分がなぜそれをしたいのか、どんな目標や夢があるのかを自覚していれば本当に遣りたいことの実現のためのプロセスとして今の人生と運命を受け容れ、未来の夢に向かって希望を持って精進していくことができるように思います。
子どもに職業が夢だを教え込むのは、何か大きな勘違いがあるように思います。何もしならない子どもにそういう教え方をすると間違ってしまうこともあるように思います。もっと大人たちが夢を語る事が大切であるように思います。それは初心を何度も語り合うことではないかと思います、一度だけではなく折あるごとに何度でも語り合うのです。
私も、遣りたいことを遣っていますから夢が叶い続けている真っ最中でどんどんその夢は膨らんできています。そして目標も自分だけのものから周囲の人たち、また世界中の人達、人類を巻き込んで膨らみ続けています。
「未来の子どもたちが幸せに暮らしていけるような世の中を創りたい。そのために子どもの幸せが世界を変えることを信じたい。そしてそれを自分の生きている世代を正しい実践を積み上げて自らの責任を果たしたい。」
それが当下の目標なのかもしれません。後はそれに期限を設けることですが、実践を徹底すれば自分次第で期限は顕われてくるのでしょう。覚悟への入り口は、夢の入り口だからかもしれません。
夢は妄想ではなく、本質的であり理想のことだからです。
常に矢印は自分へ向けて自分がどんな夢を持っているか、子ども心に抱いた夢が大人になって豊かになり膨らんで幸せになるような実践を続けて楽しい日々を過ごしていきたいと思います。
コメント
私も夢を書く時間がありました。夢と言うよりは職業選択の時間であり、そこに描くものはなかったように記憶しています。その後夢を描くことのきっかけとなったのは、友人であり先生であり、周りの環境がそうしてくれたと感じています。自分が何をしたいのか、どうしたいのかを語っていくことが夢を描くことになると感じています。その時間が今はクルー間でのみ行われていますが、近い将来子どもたちも交えて行えればと思います。
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私もありました。当時天邪鬼だった為に、職業を書く事に納得行かず、まったく見当違いの事を書いてみんなを笑わせた記憶があります。また、それをビデオにして卒業記念として親に配るのですが、祖母と両親と一緒に見た時に、何だかバツの悪い空気を味わった記憶も思い出しました。
職業を通じてなにをしたいのか。子ども達の事の前にまずは、自分自身がそうありたいと思います。