真楽調和

楽しいというのには色々な意味があるということは以前のブログでも書きました。
これをもう少し私なりに掘り下げてみます。

楽しいというのには、自分が楽しい、相手も楽しいというものがあります。

自分だけが楽しんでいるのと、相手も楽しんでいるというものがあり、本当に楽しいことは相手も自分も楽しんでいるときが楽しいと実感できるものです。これは互いのバランスで楽しさというものが存在して、本来の楽しいというのは相手があって実感できるものだからです。チームや集団でも、楽しいなぁと思えることは自分だけが歓んでいるのではなく同時に皆も歓んでいるからです。

しかしこれは自分だけが楽しもうとしていて楽しめるものではありません。だからこそ、相手を楽しませなければならないのです。相手に楽しんでもらおうとするためには、配慮がいりますし敬意がいります、そして自分がよく修まっていないとできません。

なぜなら人は相手が楽しそうに幸せそうにしている姿を観る事で自分にそれがはね返ってくるものです、そして皆が幸せにしている姿を感じて自分にも幸せが伝わってきて幸せになっていきます。これが豊かであるということです。

もしも自分だけが楽しもうと思えば思うほどに、人生はそれだけバランスから外れつまらなくなっていくものなのです。そうならないように周りの人達のために自分から親しみ尽くし切ることで周囲が楽しそうにしているのを実感することでバランスはより整いやすくなるように思います。

自他一体の境地で楽しむと、全てのことが「善かったね、なんて楽しいのだろう、有難うございます」ということばかりを実感できるものです。真楽というものは、真の豊かさであり、これは言い換えれば自分を無理せず他も無理させず、互いに自然体のままに人とのご縁の中で幸せに生活ができているということかもしれません。

そして楽しい場づくりとは、思いやりのある豊かな場づくりの実践ということなのでしょう。
自他一体で楽しむことがホスピタリティともいうのでしょう。

御役に立てる相手がいる、自分が楽しませることができる周囲がある、そこに自分を活かして生きていくことが真に楽しいことだと思えば、有難い日々に自分の誠を尽くしていきたいと思います。

  1. コメント

    これまで「楽しい」ことへの優先順位が自分の中で低かったように思います。楽しさより正しさを求める傾向にあり、正しさだけでは共感が生まれないと感じています。相手への配慮が楽しさを生み、「楽しさ」への意識の変化は何か大きなものを得たような感覚です。まだまだ感覚でだけですが、相手への配慮から感じる楽しさを求めていきたいと思います。

  2. コメント

    社内での過ごし方を振り返ってみたり、日々を振り返ると、自分だけが楽しんでいて、本当はもっと巻き込んで周りと楽しむ事ができる機会を奪っているのではないかと感じました。楽しみは楽しみとしてお裾分けできる様、周りを巻き込んで楽しむと決めて行きたいと思います。

  3. コメント

    社内での過ごし方を振り返ってみたり、日々を振り返ると、自分だけが楽しんでいて、本当はもっと巻き込んで周りと楽しむ事ができる機会を奪っているのではないかと感じました。楽しみは楽しみとしてお裾分けできる様、周りを巻き込んで楽しむと決めて行きたいと思います。

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