攻める

人は自分が攻めているなという時と守りに入っているなという感覚を持つことがあります。

事物に対して積極的である時は、攻めているときであり、逆に消極的である時は守りに入っているとう感覚であろうと思います。

この積極というのは、中村天風の積極的精神について著書等で学んだことがあります。自分の境遇を嘆くよりも、自分から積極的に人生を切り開くことで明日を勝ち得ていくということを要諦にしていたように思います。

その積極思考の心得には、「自分の心を強く持つ」「周りの消極的なものに心を同化しない」「取り越し苦労は断じて行ってはいけない」「本心・良心で活きる」「明るく、ほがらかに、生き生きと活きる」などがあり、常に自らが消極的に流されないように攻めるというのは今の自分を生き切るということを言っているように思います。

つい人は、自分の思い通りに生かせようと我儘を通そうとします。

しかし実際は、自分の思い通りいくことだけが幸せであるとは限りません。願いが叶うこともいいのですが、願いが叶わなくても真摯に直向に取り組んでいる自分が幸せであったりという境地もまたあるように思うのです。

願いが正常に働くときは、自分を尽くし切っていると思える時だからです。自分ができることを怠っているときはそれは単なる欲の一つになってしまい叶い難くなるからです。

つまりは積極心は自分を遣り切った人たちだけが持てる境地でもあり、中途半端に自分が燻っているのでは出てこないように思います。与えられた能力を遣い切る、自分の持ち味を出し切るといった自分を常に積極的に活かして移行とする中に本来の攻めがあるように思うのです。

能力が高い人ほど、やれることが多い人ほど正直に自分を使い切るために小さなことでも真摯に直向に正対していく精進が必用のように思います。

自分が消極的になるところはどこか、そこに焦点を当ててそれを全身全霊で積極的に取り組むことが攻めているということになるのでしょう。攻撃は最大の防御という言葉も、その本質は常に積極的にいることが最大の防御になっていくという意味なのだろうと思います。

最後に中村天風氏の言葉で締めくくります。

「人生の一切合切を始終プラスの状態にあらしめる。これが理想的な人生を貫くためにいちばん必要なことなんです。ちょうど家を建てるときの土台と同じようなものなんであります」

土台をしっかり持つということは、信念を醸成し根底を常に善いことへと転じる努力を惜しまないということであろうと思います。揺らがないほどに今を遣り切っていきたいと思います。

 

 

  1. コメント

    これまでと同じでは変わらないと、意識を共有していると行動の変化をお互いに生むことを感じています。その行動を振り返ってみると空回りで、掴んだものは僅かかもしれませんが、意識の高さ仕事ぶりに気づかされ、一緒に働くことの大切さを教えて頂いていると感じています。気が付いたことをそのままにしない姿勢を真似、学んでいきたいと思います。

  2. コメント

    現場に居ると常にお客様のことを考えられて助かります。自分をなくすことが出来、そしてお客さまと悩むことが出来る。どうお役にたてるのか、どう改善していけばよいのかと学ぶ姿勢で臨むことが大切だと感じます。今の自分を見ると、学ぶことと行動する事のスピードの遅さ、またそれに伴い体調が崩れるのでどこか体と心が不自然なのだと思います。心のどこかにかかっているハンドブレーキのようなものがあるのだと感じます。良く対話して行きたいと思います。

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