吉田松陰の弟子に久坂玄瑞がある。
京都の禁門の変で自刃してこの世を去った志士の一人だけれど、その周囲を慮り、一途に決心したことを貫く生き方にはとても共感できる。
松蔭がその玄瑞の人柄をこう解釈する。
「実甫(玄瑞)は高らかに非ず。且つ切直に逼り、度量窄し。然れども自ずから人に愛せらるるは、潔烈の操、これを行るに美才を以ってし、且つ頑質なきが故なり」
これは私なりの解説になるけれど、皆とともにいても何か驕るわけでもなく、また何かあるとそれはいけないとしあまり周りに寛容な感じではない。しかし、人からとても愛され慕われるのはその自らを奮い立たせて立志立命しようとする潔い信念と、これを実行するのにとても叶う力量を持ち合わせ、さらに柔軟性をあわせもっているからだという。
吉田松陰の末妹と結婚し、師匠亡きあと、高杉晋作とともに師の志を引き継ぎ、国のために、過去の私たちの民族の未来のために、今に生き切った生涯を歩んでいく。
人は色々な人たちの遺志を受け継ぐことで、自分を超えて真の意志を持てる人物に変貌していく。その真心を正しく受け取るためには、その魂に心底共感し素直に純粋に師の言うことに感激したことで自分が変わっていくことを実感するものだけが身を捨ててでもというあの境地に出逢えるのだろうと思う。
その瞬間がいつなのかは、その人たちの死生観によりものだけれどそれは天が決めることなのだから人はやはり生きているのならば何よりも日々を真摯に生きることなのだろうと思う。
その久坂玄瑞が、あの坂本竜馬を決意させ、高杉晋作を動かし、さらには西郷隆盛を感動せしめたのだからやはり意志を継いだ者たちの命懸けの志が時代を揺り動かしたのだと思う。
結果だけを観れば、成功した人たちが何か事を為したように言われるけれど実際に事を為すには暗闇の中で光る星星の姿を感じることによる。
あの空に、満天の星空が見え、月が照らし、雲がなびく。
そして、宇宙の風が吹いてきて、海原の彼方から暁の空がまた出でてくる。
そうやって日夜私たちは時代の変わり目に美しく透明な世界を感じることができることが、記憶として今の自分たちを躍動する生命へ駆り立ててくる。
あの移り変わりの寂しさや哀しさ、そして愛しさや悲しさになぜ生き物は感動するのかはそこに何か透明な心が映し出されるからではないかといつも思う。
暁の空に観えるのは、悠久に光輝き終わることがない命の道標。
時はまだまだ来ないけれど、実践は已むことは知らない。
最後にこの久坂玄瑞が20歳の頃、自分を戒め啓発するために書いている言葉を紹介する。
「自分は意志が弱く、何かことをなすような人間ではない。
しかしそこで自分を駄目だと思ってあえて何もしなければ、
すなわちできることもできなくなってしまう。
一時の平安に身を任せることを日また一日と重ねれば、
ついには畳の上で老死するだけである。」
ここでの若き玄瑞の平安とは、甘えた心のままに日ごとに流され受身になることを言うのであり、そういうではなく甘えを断ち切り主体的に命を立てて尽力していくのだという発奮であると思う。
本当の平安とは、万物一体になりその天地創造の心と繋がり人として怠らず真摯に勤めることを言う。これはまさにこの時代の学問の主柱にあった朱熹にある、「少年易老学難成、一寸光陰不可軽」の心境でもある。
私自身、焦る心と憤る義にまだまだ真の平安までは程遠く、思えば思うほどにその師の背中と足跡から学びその脚下の実践を怠らず歩もうと誓う。
コメント
自分だけの平安と世の中を含めた平安との違いを思います。自分自身の平安が世の為に為らないのであればそれは甘えで在り、依存で在るのだと思います。自分の平安が世の為に生きることにあることこそ、人として生まれることの意味を最も理解し、人に感謝出来、幸せに生きられるのだと思います。決して自分目線だけにならず、ブレずにいる為にも、子どもたちを第一に考えて今できることを真摯に取り組んでいきたいと思います。
コメント
いつも夕焼けの空を見ると、今日が人生最後の日であれば、今日のような一日を過ごしたのか、
もっと心を込めてやれたのではないか、もっと目の前の人と向き合えたのではないか、
もっと有意義な時間が創れたのではないかと反省しますが、流される日々を繰り返し、
心の弱さを悔やみ、後悔を積み重ねてしまいます。
久坂玄瑞の言葉には強く感銘しますが、実際に自分の身に起きないと考えない、動かないようだと
一度しかないこの人生が、今日一日がもったいないという言葉では言い洗わせませんが、
誰かが生きたくてもいきられない今日を生きていることを忘れずにしていきたいと思います。