世の中が今、何が起きていて何が問題なのかを論じる情報は沢山あります。
その一つ一つを拝見していると、あらゆる方法論が存在しどこから手を付けていいか分からないほどです。それは病気の治し方から食生活の治し方、お金に関すること、教育や育児など様々な分野で存在しています。
しかしそれを実践していこうとすると、一つ一つを掘り下げて自分で確信を得るところまで学びこまなければそれを使いこなすことはできません。
そう考えてみると、何を実践するのかを決めることは何のために行うのかということを定めるということだろうと思います。
人は本気になれなけれれば、何かを修得することができないように思います。どの仕事もどの分野も、自分がこうなりたいやああなりたいと思ったら、何のために遣るのかを決めてから事物に取り組み実践を積んでモノにしていくように思えるからです。
例えば、笑顔の練習も、喋り方の練習も、態度の練習も、それは何かを実現するために積むのです。練習を積んでいくというのは、将来への練習で発達と同じく、どの方向性に合わせて練習していくかでその人なりの目的を果たしていくのであろうと思います。
自分なりのやり方と自分なりの方法で、自分らしく発達していくのが人間のように思います。それがたとえ不可解な行為であっても、不真面目に観えたとしても、実はその人に最も相応しい方法であるから不思議なものです。
発達を信じるということは、その人なりの学び方があり、その人が掴んだ方法を違う形で真似をし掴む人たちがいるということなのでしょう。それぞれの個性が実践を通じて磨かれることを知ると、実践を増やしていくことがより発達を促していくように思います。
役に立つのは実践の種類だけではなく、実践している姿そのものかもしれません。まずは自らの周辺を、実践で感化していきたいと思います。
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何か行動を起こしても、それが目新しく映ることにあっちこっちと手を付けていると深まっていかず、どれも中途半端で手つかずになると身に覚えのあることを感じました。最初の行動までに移るまでの時間と継続性は必ずしもイコールではなく、継続的に気づき学んだことを深めていくがこれまでの経験から弱いのだと感じています。これまでのようにあっち、こっちと手を付け遣った気になるのではなく、気づいたことをさらに深めていくという練習を積んでいきたいと思います。
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色々と日々の気づきに対して実践をしてみても、その中で継続したり深まったものを振り返ると、そうしようと決めた自分の姿勢が価値になっているのだと、今日のブログを読んで気付きました。こんなにも発達をする環境があることに感謝し、その感謝の気持ちを深めていくことを大切にしていたいと思います。