昨年の自然農の取り組みから一年が経ち、また今年も種蒔きの時機に入りました。
いつも農園の傍にいれるわけではなく、離れているからこそより一層の信念が問われます。最初はいくら不可能はないと思えても、実際は大きな壁が何度も何度も出てきては先入観との闘いをしそれを取り除いていきます。
私の場合は偶然か、あまり昔のことを思い出さない性格のせいで先入観は少ないように思います。それが思いつきであったりして時には周りにご迷惑をおかけしますが信じる方を優先して持続させていくことができるようです。
しかし己に克てるかどうかといえば、日々に優先しているものが出てきますからなかなか自分の思い通りにはいきません。思い通りにいかないからこそ見通すことが必要になります。
そして見通しはその場、その環境を通して遣り切っていくと次第に成熟していくように思います。これも一朝一夕にはいかず、常に今を全受容し真剣に打ち込むよりないように思います。
私の場合も、昔は予測などを立てていましたが失敗するのもその予測のせいでしたからそれをやめ、今では真摯に脚下のことに集中すると決めて取り組んでいます。そうはいっても、妄念や雑念なども過り、なかなか今に生き切ることは難しいと感じます。
見抜くことができるかどうかも、何を目指しているのか、何処を志すのかが明確にならなければその力は醸成されないからです。
何度でも何度でも失敗しても、そこから学び、そこからコツを掴めばそこに損得はなく、尊い体験だけが残り、それが自分の志が目指すもののマイルストーンになっていくからです。
昨日も、幼馴染と共に畑に出て農作業をし共に弁当を食べ、久しい日々を語り合いました。自然農をはじめて、自分の不自然さにもよく気づけるようになり、自分のズレをより一層修正していくことができるようにもなりました。種を蒔いたものが次第に芽生えてきています、収穫はすでに有難いものを得ています。
共に居れば苦しみは半分、歓びは数倍に。人生は大切な人たちとの関わりにより支えられています。今日も引き続き、自然の中に入っていこうと思います。
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私も今日は一日畑仕事でした。畑というところは、いろいろな野菜を本当によく育ててくれ、「育つという生命の神秘」とともに、「育てる大地の無尽蔵の豊かさ」をいつも感じます。
また、畑には、それぞれの野菜の時季があり、因縁果報がごまかせないので、自分都合や見守り不足が、すぐ浮き彫りになります。私にとっても、畑は「自分のズレ」を修正する所であり、今日もしっかり反省してきました。
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第一シーズンの自分自身を振り返ってみると、実践というよりもお手伝いだったと思います。自分で何か掴むことや愛着が湧くといった感情よりも、することが先立ち何がどこに繋がっているか分かっておらず、相手を思い遣ったり、心配することが自分とは切り離れていたところがあり、取り組む姿勢そのものが失敗だったと感じています。離れているから試される信念の実践を、自らの体験から掴んでいけるよう取り組んでいきたいと思います。
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自分や自然と向き合う事は、心田を耕すことであり、実践は種を蒔く事なのだと感じます。
心田を耕した分だけ、種を蒔いたものが実りに繋がっているように感じます。
蒔くことばかりに囚われず、土壌を作る自分自身の習慣や生き方を楽しみ、味わって行きたいと思います。