どの組織でも言えるけれど、理想を追い、理念を定め、それを堅持するということは難しい。巷ではカリキュラムなどのマニュアルばかりが横行しつつあるけれど、本来、何のためにがあっての理念なのだからその根源的なものを理解し解釈をみんなでできてはじめて具現化できるものになる。
カリキュラムやマニュアルは理屈や正論が在る。
しかし根源的なものとは、そうやって外側で正しいというものを内側で正しいということにはならない。
根源的な理念が人権尊重としている場所である人が、美味しいものは手間暇かけてとマニュアルで書いても、その対象にする相手が何かの理由で何かで急いでいるであれば手間暇かけても美味しくならない。大事なことは根源的なことを理解しておけば、その本質を維持するために柔軟性を持って対応することを言う。
上記で言えば、根源に沿うとおもてなしをしたいのだから手間暇をかけれないのでできないのではなく、すぐに食べれて持ち帰れるものや、心遣いや安心できるような配慮をすればいいということになる。
常に真理や根源を維持するには、外側の現象に対して本当は何かを考え行動することによる。
そういうものをどこに置くのか、そこから考えるように共通理解を持つために理念を持つ。共通理解というはただ皆が知っていればいいのではなく、何を知っていれば良いかということでもある。もっとも優先順位の高いものが何かを理解していることを共通理解というのだと思う。
そしてそうやって共通理解までを持った人たちが理念を第一に保持するためには外界の変化にあってもいつもルールが守れると言う自由な存在、つまりは集団の中での個々の自立が必要になる。
しかしそういうものをすぐに「できない」や「わからない」という相手のせいにできる理由など探そうとすればいくらでもある。そうではなくて、それぞれにそれぞれが自分で決めるという強い自覚と強烈な意志の力が必要になるのは言うまでもない。
皆と一緒に自分が信じていることを強く念じ、何よりも意思の力で取り組むことができることは自分を大事にするためには大切なこと。自分を大切にするとは、皆を大切にすることであり決して自分を守るために自分を殺すことではない。他を活かしている存在として自立しているからこそ、はじめて自分を大切に活かすことができるということ。
幼い時に、大人から選択肢を与えられずトラウマを持つ人たちもいる。しかし前進しなければいけないことがあるのに、それに浸っていては何も人生も変わることもできない。
皆が助け合うというのは皆も同じく向き合っているのだから自分もやれるという周囲の見守りを使うことも良い、しかし誰か一人でも依存し、自分本位に皆にすがり甘えたりすればもはやそれは協力をしようとすることをサボることになり、そのことで周りの人たちに多大な迷惑をかけてしまうこともある。
もっとも迷惑なのは、そういう甘えることを正しいと勘違いし、無自覚でいつもできないやわからないなどちょっと大変だと思うとそれ以上は意思の力で取り組まなくなるとその時点で周りを巻き込みできない理由の急先鋒となってしまうこともある。
人は、人間との関わりに於いて何より自分から声掛けしてお互いを尊重し合ったり、助け合ったり、支え合ったりせず、自分ばっかりや、自分のことばかりを考えていれば自分の殻に引き籠りそこから脱しようともしなくなるもの。
つい個人プレーで個人技に走ると、その個人技こそが周囲の疑惑や不信を生み、それで皆が協力しずらくなり最終的には孤立してしまうことで自分ばっかりこんな目にとなるのはお門違いな話であると思う。
人に求める前に、自分に矢印を向けて自分が勝手に進めているから問題なのだと気づくことが大事なのだ。
人は一人では生きていけないように、一人では大きなこともできはしない。完璧な人間などいるはずもなく、完璧であればそれは幸せではない。幸せであるとは、お互いの持ち味を生かしながらお互いがやりたいことを認め合い、お互いに尊重しながら共生していくことが幸せの本質になる。
だからこそ、お互いが足りないところをオープンにさらけ出したり、自分ができないところを皆に力を借りたりすることが何よりも協力するための姿勢ということになる。
保育の業界に限らず、この国の教育は責任と孤独とを押し付けてきた。だからこそ一人ひとりに負担と責任を押し付け完璧な職員を育てようとする風潮すらもある。しかし、保育を思うとき、子どもたちはどうなのだろうか、幸せではない保育者が子どもを幸せにすることもなく、仕事や使命を楽しむ喜んでいる人ではなければ、子どもも楽しみ喜べるはずもない、さらには、毎日が充実していない人から、充実をする方法を学べるはずもない。
大切なのは自分が何のためそれをやるのかを自らが決心し、それを実践することで周囲を感化することであり、周りに委ねて誰かが何とかしてくれると他透けてもらうことや認めてもらうこと、分かってもらうことばかりになり、イジケテ他人との関係を断絶することではない。
何かに甘えてやらないための理由を躍起になって探すのではなく、何のためにやるのかを見定め、それを最後まで遣り切ることが自ら周囲を尊重して自分を尽くしていくことになる。
色々な問題があるけれど、子どもたちが今創り上げている社会こそが未来なのだから、今起きている社会問題から課題を見つけた以上、何よりも理念を立ててその課題に向き合い皆で一丸となって一つ一つを取り組んでほしいと思います。
子どもたちのためにも強い意志を持ち、他を見守ることで自律し共生していけるような実践を築いていきたい。
コメント
世の中が不況になると「この世の中は助け合いだ」とよく耳にしますが、消極的な言葉では
なく、互いを活かし合う自然界の摂理のような共生の概念だと思います。
人生の生き方がわからなくなったら身近な自然を見つめ直すと、生命の本質に気付かされる
ことがありますが、自然界には無駄なものはないことから考えると、人間同士も互いの違いを
理由に離れるのではなく、互いの不完全さ、持ち合わせた能力を認め合い共生することが
大切なように思います。
そのためにも自立と自律を弁えて、自分を確立していきたいと思います。