昨日、2010年のGTサミットが開催された。今年も全国から問題意識の高い方々が一堂に集まり、様々な課題を共有することができている。
状況が目まぐるしく変わる中、まずは自分たちから勇気を持って変わっていこうとし、今までの慣れ親しんだやり方を捨てようと代表からも話があった。
今までのやり方であっていた時代はそれで良かったけれどあわなくなったらどうするか、それを考える人はまだまだとても少ない。
やはり一人ひとりが自ら主体的に考えて生き、具体的に行動を変えていかなければば変わらないというのはどの時代でも同じことだと思う。
なぜすぐに変わらないかというと過去の貢献を否定されたと思いこみ、変わりたくない理由をつけているのもあるのだろう。しかしたとえ今まで貢献したからといって、それまでに経験したことをいつまでも変えないというのはおかしいことだと昨日の研修でも話があった。
今までは気づかずに良かれと思ってやってきたことも、あるときにはもうすでにそれは害があるもの変わっていることがある。
それを農業の例え話で諭していただいた。
例えば、曲がらないきゅうりが良いからと農薬や肥料などを調整してたくさん作って購入者に喜ばれた時代があった。けれど、残留農薬や添加物の蓄積毒が身体にも悪く、今では病気の原因になると言われ良くないと言われていることを知った。当然、今までの良いことよりも害を及ぼすと知ってしまったのだから止めればいいはずなのにそれをいつまでも止めようとはせず、上辺だけを誤魔化して変えたように見せ続けたりして一向に今までのやり方を止めようともしない。それでさらに害が広がっていき負の連鎖は増大していく。
保育や教育でも、今までの一斉に画一し、個性を蔑にし、大量生産大量消費の名のもとに子どもの権利を尊重しないやり方で、気がつくと今の社会でうつやひきこもり、自殺、その他、受身やコミュニケーションの欠如、自己肯定感や自信を持てないなど、様々に問題になってきているのを教育者や影響ある立場の人たちもそれを本心では知っていながら実践する一人ひとりすべてが今までのやり方をいつまでも止めようともしなければ、それがこの先ますます害を及ぼすと分かっていても続けていればそれはもはや罪を犯している領域まで入っているのではないかとも私は思う。
以前、ある医師が合法的に人を傷つけている仕事だからこそ何より正しいことのために自分を変え続けるとお話を聴いたけれど、人を育てるという仕事もやはり合法的に人を傷つけている仕事ではないか、だからこそ天に恥じないようにいつも正しいことかどうかを省み、そして温故知新に日々新たにしていくために修養し世界へ広く目を向けて見守る必要があるのではないか。
それなのに知らなかったではとても済まされない現実世界での悲惨な出来事が起きていることに憂慮もせず、一人ひとりが今までの楽で便利だからと保身保守のために変化しないということがあっていいのだろうか。
新しく生まれて来る者たちが、自分らしく安心して生きていける幸福な社会はいったい誰が譲るのかを思うとき、人は少しでも善いものを引き渡していこうとするのが今を生きる者たちすべての使命ではないか。
日本古来から受け継がれてきた和合の精神や、かんながらの心、または御縁を大事にする感謝の生活、お天道様に恥じない正しい行いなど、そういうものを守りながら自分たちが変わっていくということは何よりも未来を信じることにならないだろうか。
今までの社会や教育にどっぷり浸かってしまってなかなか変われないし急には変わろうともしないこともよく分かる。けれど、いつまでもこのままのらりくらりと誰か任せにしていたらもう手遅れになってしまう。
自分たちの分身であり、愛の化身でもあるあの子どもたちを中心に置いて、皆で役割を分担して社会を一人ひとりが責任を持って参画し形成していかなければいったい誰がこの問題を解決するというのか。
この国の人たちは、あまりにも物質的豊かさの中に依存し、誰かが何かをしてくれるはずと、自分たちの役割を放棄し、誰か任せに生きることで欲望に浸っている生活が長く刷り込まれてしまっていることがある。
制度改革も、政治家任せやある団体の幹部任せ、または官僚任せや暗黙の了解任せではとても本当の意味で皆が自覚し責任を持ち参画した社会とはならない。文句や責任転嫁は生まれても、新しい命がそこに生まれるはずはない。
今こそ、それぞれが自分たちの持ち場で立ち上がり、相対的に良し悪しではなく、絶対的に善いもののために自分を尽くして時代にあわせて変わっていく勇猛心が国民一人一人すべてに必要だと思う。
小さな働きかけでも積み上がれば必ず大きな訴求力になる。
かの草莽崛起とは、立場も人種もましては人間だけによらずすべての生命が力をあわせて一人ひとりが世界のために何ができるかを考えるという真理、tsまりは天体渾然とした自然の理法。
この自然界にある真実の理法を、自らで体現できるように役割分担を分度を定め真摯に取り組みたい。またこの今も同じ理念や志がある方々と語り合えること、何よりそういう機会が得られていることに何よりも本当に感謝しています。
コメント
考え方を変えるとか見方を変えるとか、人が成長する上でどんどん変わっていくことが必要だと思いますがそのためににも外部からの圧力や周囲の環境の変化を受けれることができないのは自分の奥底にある決して変わることのない生き方や先人たちが残した叡智、真理がああるのがだと思います。
変わっているようで変わっていない、変わってないようで変わっている。
捨てているようで捨てていない。
だからこそ、変わること、捨てることにためらいなく日々のなかで真理に近づいていくために変わって
いきたいと思います