人は実地実行の質量で変化というものを体現することができます。
特に、何かを思い何を行うかというのは、一日一日の中で試されるようにも思うのです。いくら善いことをしようと祈っていても、善いことは何をするのかの実践をしていなければそれは善いことになろうとしているだけで善い人ではないのです。
二宮尊徳にこうあります。
「朝夕に善を思うといえども、善事をなさざれば善人というべからず」
これもいくら善いと思っていても、具体的に善いことの実地実行をしていなければ善人ではないということです。
会社でいえば、何をするのことが善なのか、どんなことをお客様や世の中に奉仕していくことが善行なのかを決めてそれを日々に積み上げていくことが価値だということになろうと思います。
具体的なことにしていくには、何が善いことなのかを決めてそれを探し、一つでも多く善いことを求めて働かせていく必要があるように思います。今日も自分は、誰かのお役に立てただろうか、具体的な改善ができただろうか、お客様や社会の発展に貢献しただろうかと、常に念じ続けて一つでも多く勤めていくことが大事だなのだと思います。
人は念じ続けることで、求め続けることでアンテナが立ち、発見しやすくなっていくように思います。例えば、探しているから見つかるように、善行をしたいと念じ続けているからその善行のチャンスを見逃さないということだと思います。
何か少しでも、一日一日、ご縁を活かそうと、機会を逃すまいと思えば思うほどにそのチャンスを見出せるようにも思うのです。
チャンスというものは、毎日の積み重ねの集積によって得られるように思います。常に人事を尽くして善行を実地実行した種が芽をだし、発育し収穫できそして次の種になっていくように思います。
自然に繁栄していくには、思うよりも行動することのように思います。
日々に行動をベースに改善していきたいと思います。
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「何が善であるか」ということは、きちんと考え、実践していく必要がありますが、それが「善行のために善を行う」ということになってしまうと、少し意味が変わってきます。「善人」とは、「善を考え、実践する人」ではなく、「日頃から考え、実践していることが善である人」ではないでしょうか。
そういう意味で、「今、何を考えていたか」「誰のことを想っていたか」「いいと思ったことを素直に実践できたか」ということを、時どきチェックしたいと思います。
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日々の時間の遣い方を振り返ると行動よりも思う時間の方が長く費やしていると感じます。考えている時間はやっているイメージは反復できますが、自分の時間を遣っていることなのだと認識しました。時間の遣い方を見直し行動していきたいと思います。
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良いことをしようとその場で思っても、機会と時間は待ってくれないのだと感じます。いつも思っているからこそ、時間の流れと共に、良いことをさせて頂ける機会を得られる様に感じます。日々訪れる有難い機会を逃さぬよう、生き方を毅然していきたいと思います。