先日、自然治癒について色々と気づくことがありました。
もともと自然治癒というのは、自分の中に本来治る力がありそれが働くことで自然に治癒するという考え方です。そこには、病もまた自然の一部として治るために一時的に病むということです。
この考え方で有名なのはアンドルーワイル氏ですが、そこには信じるということの大切さを述べています。「患者がその治療法を信じること、医師がその治療法を信じること、 そして患者 と医師が互いに信じあうことである。 この三つの要素が働けば真の治癒が起こりうる」と断言しています。
この信じるというのは、自然を働かせるのにとても大切な意味が存在します。
そもそも外側の力で治るという考え方は、治れば信じるという現象に対して信じるかどうかを疑心暗鬼になっている状態です。しかし本来の信じるというのは、どのような現象であっても必ず内側の力が働いてそれが外側の力の協力を得て解決すると信じている状態です。
これは人事を尽くして天命を待つのと同じで、信じるからこそ人事を尽くすことができ、人事を尽くすからこそ他力を呼び込み最終的には福になるという考え方と同じであるのです。
そしてそれを引き出すのは、本人の信じる力、そしてそれを見守る人の力、そしてその本人と周りが互いに深く信じ合うことで自然発生的に根本から治癒していくことができるのです。
根源治癒というのは、信じるということで信じれば根源から治り、そこに疑いや不安があれば対処療法ばかりを遣り続けることになるのです。
信じるというのは、きっとこれで善いのだと思うことや、最終的には待っていればきっと善いことになると楽観的に考えることができるかということだと思います。そこには芯の強さと同時に、信念が必要になるように思います。
生きていれば色々と起こりますから、その一つ一つに正対し、何度も何度も困難を乗り越えていく中で信念が醸成されそして遂に楽観といった安心の境地を持てるように思います。そしてそういう時こそ、自然が働くということです。
自然が働くというのは、信じることが働くと言っていいと思います。
常に楽しく働くには、信じるかどうかということに由ると思います。
見守るということをさらに実感して内省していきたいと思います。
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確かに、「信じるから、見えるものがある」「信じるから、現れるものがある」ということをたくさん経験してきました。しかし、同時に、「信じよう」とすると、「信じられないこと」が起きて、「それでも信じるか?!」と試されることも結構ありました。
99%では信じたことにならない。まだまだ「わずかな疑念」との戦いが続いています。
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根源治癒するほど信じた経験が思い浮かぶより、目の前の課題解決が思い浮かびます。信じる量が僅かかもしれませんが、方向性は同じく継続的に改善していく今のプロセスが信じることでもあるように思います。根本を治癒にするにはまだまだ至りませんが、継続して変化し続けていることを信じていきたいと思います。
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子どもの病気一つ、食事ひとつ、どれをとっても、正対することと信じ、実践し、良いものに変えて行くことの繰り返しであり、実際は行っている時は、苦悩や不信との戦いなどがまだまだ続いていることを思います。子どもの事を考えて子どもや家族にも実践させよとすると、苦悩は絶えませんが、自分自身が何よりもその実践を楽しむことが前提であれば苦悩ではないのだと感じます。
まだまだ、楽しみを見つけられると信じて、自分自身の実践を突き詰めて行きたいと思います。