生きものが育つということは、今まで生き残ってきたプロセスの証であるともいえます。
例えば、植物や昆虫などもそうですが必ずある順序性をもって成長していきます。菜の花でいえば、種から芽が出て伸びて花が咲き、そして種をつくります。てんとう虫でいえば、卵から幼虫になり、さなぎを経て成虫になりまた卵を産み繰り返します。
そのように、一つのいのちから多様に分化しそれぞれの生きざまで役割を果たします。そのプロセスは全て必要不可欠でその生き物にしかない大切な役割を帯びています。あらゆる生命のために、その経過と課程を育っていくことでその生き物の生涯を全うしていくのです。
発達の過程というのは、まるで魂を磨き続け人生を掘り下げていくことに似ています。ひとつひとつの発達を獲得していくことで、より自分の役割や使命を果たすために必要な機能は身についてきます。その過程をどのようにその人が自発的に取り組んだかでその人にしかない体験を積みそれをその生涯で活かしていくのです。
つまり発達というのは、その過程を大切にするということが尊いいことであり、そのプロセスを正しく観て、そして信じることでそのいのちが求めるままにさせてあげることで最も全体に必要な使命を果たしてくれるのです。
そうやって貢献していると実感することで、いのちは磨かれそして深められていくからです。
そう思えば、善悪を自分の主観や誰かの決めたモノサシで決めつけるのではなく、その体験、その過程が福だとし善いことにしていくことがそのいのちが望んだ成長を援けていくことになるのであろうと私は思います。
発達過程を信じることは、そのものがそのものでいいと丸ごと受容していくことに似ています。自然の中で私たちがそれぞれに好きに多様化して世界を調和していくのも全てはプロセスを信じることに他なりません。
人生と同じでふり返ってみたら意味がなかったことは何もなかった。そして無駄であったと思うことも何一つなかったと思えるのが人間であろうと思います。それが発達過程であるというのが私の発達論の一つ、「プロセス」であるということです。
何でも画一にし、誰かのモノサシで管理し、時間のスピードがあがっている昨今、プロセスというものの意義が薄れてきているように思います。方法論ではなく生き方を優先できるようになるのも、それはプロセスを深く信じ味わうことから実現するのです。
プロセスを見守り、そのいのちの成長を味わっていくことが子どもを信じることだと思います。
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「人生そのものに全く無駄がない」ということは、プロセスの中に「導き」があり、プロセスそのものに「メッセージ」が含まれているということだと思います。どのような人生であっても「見守られていること」に安心感をもって、自分独自のプロセスを、自分のタイミングで、必要な時間をかけながら、きちんと歩みたいものです。そのためには、「自分の心の声」を聞き逃さない努力が必要だと感じています。
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誰かの決めたプロセスを辿ることや本に書いてある通りに生きるより、自分で決めたことを遣り抜いていくことで得られることが尊いと感じます。そう感じるのもこれまでの教えられたことを覚えることに慣れている節があるからです。これまでの発達過程で得た学びを活かし、体験から得られる学びを積んでいきたいと思います。
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自ら選択し、発達していくことを選ばず、発達を補うために知識や技術を獲得していっては、発達の過程を歩むことを怠り、ゆがみやねじれを起こすことになるのだと感じます。
上手くできるか、出来ないかではなく、過程を楽しむ事、
自分自身の人生として受け止める事を大切にしていきたいと思います。映画の話ではないですが、発達の過程を歩むことを怠ると、来世、その先と、同じ課題が振りかかってくるのかもしれないと感じます。