尊い体験の今

苦楽について考える機会がありました。

人は、一般的には苦しいからこそ楽になりたいと思うものです。これは苦しいと偏ることで、もう一つの反対側の楽を想像して求めてしまうからとも言えます。逆に、いつも楽だけを求めていたらできるなら苦しみを避けて無難でいたいと思うのです。

しかし、人生は平等ですから誰にしろ苦難は訪れるし、快楽に酔うこともあるでしょう。そういうものに偏ることこそが真の苦しみを生み出していたりもするように思います。

人は、何かの苦しみを感謝に転じることができるならそれを楽しいという方へと考えることもできるように思います。例えば、何かの苦しみが訪れたとき楽をしようとするのではなく、苦しいけれど自分で遣り切って納得できる方が楽しいという選択をするとします。

すると、今まで苦しいと思っていたこともその御蔭で日々が充実するようになったとか、ただ諦めて我慢していた日々が御蔭で掛け替えのない一日に変わったとも言えるのではないかと思います。

人生というものを思う時、如何に素晴らしい体験と思い出ができたかということが重要ではないかと思います。それは死んだら何も持っては行けず、如何に一期一会の素晴らしい出会いを自らのご縁を通して体感しかたではないかとも思うのです。

必ず人生は死に向かって歩んでいくものですから、尊い体験をさせてもらっていているのが今であるというのは自明の理です。そうであるならば、もがくことも苦しむことで辛いこともその時は大変心労も重なりますが天からの贈り物と転じていけるかどうかに苦が本当に苦しいものになるか、楽が本当に楽しいものになるのかの分岐点になるように思います。

苦しいことも楽しいことも、幸せと思えるには尊い体験の今に丸ごと感謝することかもしれません。善いか悪いかは分かりませんし、これが何になるのかも知りません。過去がどうであったかもこの先がどうなるのかも天のみぞ知る境地です。

だからこそ、自分の道だと信じて歩んでいけることに感謝し続けていきたいと思います。

  1. コメント

    楽を求めるのもこれまでの偏りが今もそうさせ、楽になりたいと思うばかりで「とはいえ」がはらむ生き方に何のためかが分からなくなります。渦中でも尊いと感じられる感謝の心に尊敬致します。苦しいと感じているときに何を伝えられる自分なのか考えたいと思います。

  2. コメント

    人生は「四苦八苦」と言われるように、避けて通れないものがあります。しかし、私は、「苦の中には、必ずメッセージが含まれている」と考えています。したがって、「苦」を取り除くことよりも、そこに含まれる「メッセージ」をきちんと受け取ることを優先し、その課題に取り組むことにしています。そうすると、「苦」の意味も分かり、自分にとっての必要性もわかる感じがします。

  3. コメント

    天からの贈り物として今を捉える事が出来ているだろうかと振り返ると、出来る事が沢山周りにある事に気付きます。また、助けられている事ばかりなのにも気付きます。視野が目の前になってしまうと感謝を忘れるので、一体なんのためなのか、何の役割を頂いているのかを忘れずに気を付けたいと思います。

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