無事にドイツに到着し、安着祝いを行いました。
これで3年連続での参加になりますが、不思議ですが毎年来ているとなぜか故郷の一つのように感じてここでの空気や人々の雰囲気、食べ物や生活の様子に安心を憶えます。
新しく変わっていくこともありますが、離れていても戻ってきたら過去に触れた世界があるということが故郷へと回帰していくことかもしれません。ヨーロッパには縁がありますから、遠い昔に何か関わりがあったのかもしれません。
さて、今回は人間愛というサブテーマで進めているのですが子どもたちのことを思います。
子どもはとても純粋で、友達や家族を自分のこと以上に大切に思っているものです。昔は、自分の母親や友達の文句を言われたら本気で怒り喧嘩をしていたようにも思います。
自分のことを言われるよりも、大切な人のことたちのことを馬鹿にされることが嫌いで泣くほどの悔しい思いをした記憶もあります。
今、思い返して深めてみるとそれは自分との「つながり」の愛の絆を否定されたりすることをとても重要に感じていたからかもしれません。自分というものの理解を、つながりの中の自分であるというように実感していたからのように思います。
自分という存在は、大切なつながりや絆が自分を自分として存在しあらしめているという感覚です。自分は誰とつながっているのか、自分が大切にしているつながりは何か、そこに愛情や友情といったつながりを求めているのが人間の愛のようにも思います。
自分が何とつながっているか、そのつながりを太く厚くしていくことが人間を愛するということかもしれません。子ども心に、あのつながりの尊さを思い出しました。さまざまつながりを結び、その中でもとても美しいつながりを築くことができるなら、その愛の縁はより不思議なつながりとなって世界を結ぶのかもしれません。
最後にガンジーにこうあります。
「一人の人間の愛が百万人の憎しみを打ち消す」
色々なご縁の中から、どのつながりが存在することを信じるか、そこに世界を変えるヒントがあるかもしれません。子どもたちの中から見出していきたいと思います。
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縁には、親子・兄弟のような「縦の縁」と、友人・知人のような「横の縁」があります。これら縦横無尽の網の目のような空間縁起のなかで、お互いに影響し合って生きています。その縁によって、喜びも苦しみも生じますが、自分は、決して独りポツンと在るのではないということが救いになっています。結局は、その安心感に支えられているようです。
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自分自身勘違いをしていたのが、最高と呼ばれるものを求めていく見方をしていた事でした。
それが理由で目の前にある価値に気付けず、受け身な自分から脱却がはかれませんでした。
最高と呼べるものを求めていく見方を大切にして行くと、目の前に愛は溢れている事に気付き始めました。もっと主体的に絆を深めて行きたいと思います。
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ドイツへ来られたのも何かの縁があったと思うと、導かれてここへ来られたのだと感じます。多様な国の方がいて見ず知らずの人に囲まれると、ここがどこで何を話しているのか聞き取ることもできません。自分自身を信じられる信念や自国の文化を学び、そして自分自身を見失わぬよう、違いから気づくこと、似ていると感じることどちらも大切にし振り返る時間を大切にしていきたいと思います。