久しぶりに体調を崩しながら健康の有難さを実感しています。
色々なことが同時に重なると、一つ一つの判断基準が微妙にズレていくものです。具体的には同時に全部をやろうと欲張るとその分無理が生じてきます。身体の緊張もそうですが、無駄な力が入ってしまうとその分疲労も蓄積します。
力の抜き加減や緊張を融和するような自分の状況や状態をどれだけ冷静に観察するかは、自我との折り合いにもよるものだろうと思います。それだけバランスを保つというのは、自分の内面と外面の調和を意識している自分を持っていないと難しいと思うのです。
東洋医学に内因と外因というものがあります。
内因とはその人の持つ体質のことで東洋医学では主に精神面を重視しています。「喜・怒・憂・思・悲・恐・驚」これを七情と呼んで感情が体に影響を与えると考えています。七情はそれぞれ特定の臓器と関連しています。喜は心、怒は肝、憂は肺、思は脾、悲は肺、恐・驚は腎となります。
外因とは体の外から侵入してくるもののことです。主に気候の変化によるもので「風・寒・暑・湿・燥・火」に分類して、これを「六淫」、「六邪」、「外邪」と呼んでいます。その他には、不内外因といい暴飲暴食や疲労、外傷などによります。
これは全体を観察するときの原因を突き止めるために行う東洋の智慧ですが、確かに心身と感情、気候も出来事もすべては元々複合的に絡み合っているのが日常であるからです。何もない今などもなく、常に万物変化し已まないのだから体調もまた刻々と全体にあわせて管理しているともいえるのです。
このように今を観て全体の調和を考えず、一方だけの考え方に偏れば傲慢になり、その分の無理が生じれば、その歪としてその無理の原因としての結果が訪れます。
これは身体だけのことではありません。自分の考えだけに固執し、それぞれの人達が話すそれぞれの考えもまた同時に正しいと思う時、全体の調和がとれ、優先するものが確信してきます。しかし意固地になり、謙虚さを失い、自分だけが正しいと思い込めば周りの人たちの話を聴かなくなり優先順位も定めることができなくなるのです。
何を優先することがもっとも全体にとっていいかは、自我を優先しないことを考えているということにつながります。信じる力が弱ってくると自我が出てきて判断が歪んできます。信じる力とは健康な時に満ちるのは、健康とは全ての因を福や善として捉えることができる状態のことを言うからです。
病とは、判断基準にとても大きな影響力を与えています。
病を転じて福にしていくことこそが、心身ともに調和しているともいうのです。
優先していくことを考えることは、信じているかどうかを内省することに等しいように思います。この病からも学び、体験から悟り、それを同じ苦しみを持つ人たちへの御役に立てたいと思います。
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病を「問題」ととらえると、問題解決が必要になりますが、病を「メッセージ」ととらえると、そのメッセージを、正確に受け取ることが重要となるでしょう。病や人間関係を通して、「心身の不調和やバランスの乱れ」を教えてくれるこの「気づきのシステム」は見事な神仕組みです。自我力を解いて、耳の痛いメッセージをいかに素直に受け取るか、その戦いが毎日続いています。
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遣りたいと感じていることが人のためなのか、自分のためなのかよく考えないと自我に走ることになると危機感を感じました。よく話しをされる「一物全体」ですが、どこかで分けて考えていないだろうかと振り返るばかりです。信じる力が未来に向かっている今、自分だけの考えに固執しないよう、周りの方の声が何を意味しているのかしっかり考えてたいと思います。
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心と体のバランスを崩すと病になると考えていましたが、体がついてこないというよりも、いつも原因は体を動かす心にあるのだと感じました。
心も体も一つ、全体として考えて行きたいと思います。