自然農に取り組む中でまた新たな発見がありました。
自然に合わせて他の植物と野菜の共生に任せて見ていると、生長期を共にするものを仲間としその伸びる速度や高さ、その育ち方にまで影響をし合うことに気づくのです。
例えば、高さでいえば、周りの高さに負けないように自らを上へと伸ばし太陽の光が届くところまで高くなるのです。そうなると周りのものも同時に高くなるため、全体的に高くなるのです。もちろん、もともと背の高いセイタカアワダチソウやトウモロコシなどはかえって周りが低いと低いままですが、周囲が高くなると高くなるのです。
高さというものは、周りの高さによって変化するものだから周りの高さをどのように保障してあげるかでそのものの持っているものを引き出せるようにも思います。全体を高くしていくということは、伸びる力を引き出していくということです。
他にも混植をしていく中で、急成長する植物の音を聴いてはその音に沿って伸びているようにも思います。身近なものをみて、身近なものの生長の様子にあわせて自分の場所を確保していくというものです。
生長の豊かな状況の中に、種を置いてあげれば次第に周りから学んで伸びていきます。そのものに毎回、肥料や水、農薬をかけずとも、周りに元気な草花が自生していればそこから自然の中で生きる智慧を学びながら育つのです。
不思議ですが、自然は常に周りの環境から学び育つものです。ここに引き出し方のコツがあるのです。周りとの共生から学ぶという、自然の学び方があるのです。自然は教えずとも学ぶという根拠は、常に周りから学ぶということが自然そのものの本来の学び方であるということです。
多品種多目種であることが周囲を元気にするのは、それだけ育ち方や取り組み方にそれぞれの伸び方や生え方があり、それを通して智慧を自らのものにしていき生長を揺るぎないものにしていくのでしょう。かつての季節や気候、土壌でそのものが得た智慧を共に学び合いながら共生するということにそのいのちが生きてきた智慧を共有するのです。
周りによって自らが学ぶというのは、自然の学び方の一つなのでしょう。周囲を多様にしていくことが、生きる智慧を引き出す方法です。
生きる智慧とは、共有財産のことです。それをシェアできるとうことが真に豊かな協働共生する社会の創造になるはずです。子どもたちのためにも、自然の新たな発見を実践を通じて、一つ一つものにして具現化し、それを世の中へ還元していきたいと思います。
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「環境が人を育てる」と言います。強いチームで、死ぬほど辛い練習についていくか?それとも、弱いチームで、苦しくない程度にやるか?あるいは、いろんな個性を持った人が生かされる組織で働くか?特定の傾向の人しか残れない組織で働くか?このどちらに身を置くかで、その人の成長は違ってくるでしょう。人間は、この「環境」を自分で選ぶことができます。この選択において、「チャレンジ」か「逃げ」かがいつも試され、「強さ」が変わってくるようです。
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一人で考え込み詰まった時に誰かに相談しヒントを得るように、自力の後の他力のことを言っているようにも感じます。自力で育ちながらも周りの環境を活かしていくのは、主体的に周りを活かそうとする自分自身でもあるように思います。競争ではなく、共生して伸びていくように一円観を意識していきたいと思います。
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清き競争とはこういった事をいうのだとかんじました。
お互いのお互いらしさをより伸ばす環境は、
やはり、今できる事の中にあるのではなく、
もうちょっと先の課題にあるとかんじます。
いつも挑戦し続ける環境が、それぞれのらしさを
育んで行区のだとかんじます。また、挑戦と失敗がセットでよいという環境も大切なのだと感じます。