自然養鶏を実践しつつ、烏骨鶏の育児を観察して色々なことに気づきました。
もともと烏骨鶏は原種で改良をされていない鶏で、子育ての方法なども昔から変わらずにそのままです。誰が教えたわけでもなく、自然に子育てをしていく姿に本来の自然に沿って生きていくことの尊さを感じました。
観察したことを書くと、烏骨鶏は繁殖期に入る2月、3月の春先に卵を温めだします。夏の餌が豊富な時期にあわせて、また子どもは体温を維持できないので暖かい時期に成長するように季節に合わせて孵します。
卵は雌鳥たちが、数羽で身体を寄せ合って協力して温めます。うちでは5羽の雌がいるので数個の卵を絶妙に転がして交換しあったりして温めていきます。約21日前後の間は何も食べず、何も飲まずに少しも卵から離れずに抱卵し続けます。
外敵から襲われようと身動きせず、危険が自分の身に迫ろうとも命懸けて子どもを育てます。またその子どもを守るために、雄も雌も一致協力して守りつづけます。
そして卵から雛が孵り、小さな烏骨鶏が出てくればその子の世話をする雌鳥が担当します。子どももお母さんが誰かというのを認識していて、いつもぴったりお母さん鶏から離れません。
しかし雛には過酷で、生まれてすぐに死ぬのがほとんどで生き残れるものはそんなに多くありません。今年も5羽孵りましたが、結局は3か月で1羽しか生き残れませんでした。必死に生きているものだけを、本気で生きたものだけを遺そうとする自然の本筋には身を引き締める思いがしました。
そしてその1羽がだいぶ大きくなり、今では親鳥の半分くらいの大きさになりましたが親の後ろをついてまわって見て真似ている姿には微笑ましく感じます。先日も、止まり木に上っているお母さんを追って一生懸命に飛びますが高くて乗れず泣いていたらまたお母さんが降りてくるというように、子どもにあわせて自立できるように少しずつ子どもにあわせながらも自分たち大人の生活に合わせられるように見守っています。
自然界の子育てに、本来の子育てを学ぶことが多く、私達人間もきっとそうやって数々の動物から育児を習ったのではないかと思うのです。自然の中で生きていくということは、教えてもらわなくても活きる方法を知るということなのでしょう。
今の烏骨鶏の子どもの姿に、一生懸命に生き切ること、本気で真摯に試練に立ち向かうこと、そこに自然界の摂理を学べます。自然界の弱肉強食とは力が弱いから死に強いから生き残るのではなく、自然は常に本気でいのちを遣い切るものだけを長くこの世に遺そうとしているように私には観えます。
自然養鶏を実践しながら、観察して気づくのは自然の中の教えそのものでした。
烏骨鶏の育児の方法は、本当に現代の私たちに大切なことを教えてくれます。この体験を、世の中に還元していきたいと思います。
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松下幸之助さんは、庭先のスズメが、生きていくために寸秒の惜しみもなくエサを求めて飛び歩いている姿を見て、「果たして人間はそれだけの努力をしているか?!」と問います。「そこまでやって初めて、本当に生きる自信が生まれてくる。そのことを知らずして“僕は自信がない”などと安易に言っている姿は結局甘えに過ぎない。そこに気がつかんといかん。生きるということは、本当は非常に厳しいものだ」と言います。私にはそこまで学びとる力がありません。「学ぶ姿勢」と「その真剣な探究心」を学び直さないといけないようです。
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新宿でエイサーを見ました。その中には小さい子から大人まで実に幅広い層の人たちがそれぞれの役割を担い、新宿の街を練り歩きいつもとは違う雰囲気に活気づいていました。祖先のためにそれぞれが役割を尽くす姿に、取り入れていくべきは日本のもともとある季節に沿った生き方と考えていた最中でのエイサーとの遭遇となりました。日々に自然に沿う生活を意識し取り入れていきたいと思います。
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いつも本気であるかを見守る親になるには、、、と、我を省みるばかりですが、そこにもまた、親としての本気で居られる機会を頂いているのだと思います。やっぱり今日も子ども達と過ごしていると、こちらもやり切るしかない!とスイッチを押してくれています。無駄にせず、やり切りたいと思います。