何かを創るというものには行為があります。人は思っても知っていても、それを実際に自分でやってみなければ創っているとはいいません。何かに取り組む際に、やってみたかどうかというのは大変な勇気が要りますがそれをしてはじめて自己形成といった本来の成長になるように思います。
本田宗一郎にこんな言葉があります。
「人生は見たり、聞いたり、試したりの3つの知恵でまとまっているが、多くの人は見たり聞いたりばかりで一番重要な“試したり”をほとんどしない。」
人は自分を省み、反省するのは見たり聞いたりしたことをよくよくふり返り自分を観て心に聴きます。しかしそれで反省した気になっては、いつまでたっても次を創ったわけではありません。
次を創るというものは、反省して次にどうするかのほうが大事なことだということを教えているのです。失敗は成功の母とも言われる所以は、本来の失敗とは悪いものではなく、その失敗を糧にそれを転じてモチベーションにし次へのトライのキッカケにするというものです。
何でもそうですが、失敗したら倍返し、失敗を恐れずに思い切って前に進むというのも、目標と目的をはき違えないようにするためです。何のためにから離れない人は、どんな時でも目的が何かということを忘れていません。だから、どんな失敗があってもそれが必然であったこと、その失敗は自分に次への改善を指示してくださったとすぐに気持ちは切り替わります。
しかしそれが与えられた目標になってしまい、自分で目的を深めていないとすぐに失敗しただけで納得してそこで考動を終わらせてしまうことがあるのです。何のためにかというのをモノにするというのは、自分の言葉でその志をものにしないといけません。
そしてそれは本質からずブレずにやってみることではじめてものになるのです。試すというのは、志を試すことであり試練というのは、日々に試しては訪れず失敗と成功にどれだけ真剣に向き合って自他一体に取り組んだかということです。
悔しい思いも悲しい思いも、複雑な思いもそのままに、必ず次こそはものにするという覚悟でその事物と一体になるほどに没頭すれば自ずから創ったことになるのです。真の変化とはそこまでしないと変化と一体にはなれません。
本田宗一郎の「試す人になれ!」と言うのも、この試すことが創ることだからです。創ることは失敗することだからです。
創れないと嘆く前に、今が常に変化の試練だと思ってその試練に思い切って飛び込まないからかもしれません。何のためにこれを与えてくださったのかと思えば、諦めて肚を括って何事も試しに遣り切った方が清々しいものです。
試練を沢山経験することで、創造力もアイデアもはじめて磨かれるように思います。試練を試練にしていけるように、ものづくりの根本精神を大切にしたいと思います。
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「チャレンジする」と失敗するかもしれませんが、「チャレンジしない」と新しい世界は生み出せません。何も創造できず停滞するだけなら、それもまた大きな「失敗」です。「チャレンジして失敗したこと」は成功につながりますが、「チャレンジしなかった失敗」は何の役にも立ちません。今日、「試す機会があったのに試さなかった」という失敗こそ反省しないといけないでしょう。
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試すことに比べ見たり聞いたりする割合の方が高いように感じていますが、先週末はいつもなら真っ直ぐ行くところを遠回りして見たり、足を延ばしてみたりとパターンを変えてみました。そのちょっとした変化でも気づきや学びがあり、小さくはじめたことがそのまま萎んでしまうのはいつもの思考パターンが見聞きに重点が置いているからなのだと感じました。次どうする、だからどうすると自分自身に行動を促す問いかけをしていきたいと思います。
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「良い悪い」「成功失敗」という表面上の善悪に囚われず、昨日よりも「前に進める情報や経験を積んだかどうか」という事を大事にしていくことが大切だと学ばせて頂きました。本質は目的であり、そこに辿り着く事が大切なのだと感じます。子どもはすぐに試し、目標や目的に対しての現在地点を知ることが出来ます。また、人にやってもらうよりも、自分で試して失敗したがる姿をみると、私自身も真似て学んでいきたいと思います。