人は逆境をたくさん体験することで強くなっていきます。この強くなるというのは、優しくなるということです。真の優しさというのは強くなければ発揮されないからです。
男の生きざまとして、強い男に憧れるものです。その憧れは強さへの憧れですが、単に喧嘩に強いとか権力があるとかが決して強いと定義しているのではありません。ここでの強さとは、どんな時でも優しくいれる強さ、相手のことを思いやれる強さのことを言うのです。
ラグビーの伏見工業の教育者で有名な山口良治さんの「信は力なり~可能性の限界に挑む」(旬報社)にこういう一文があります。
「『もう嫌だ。好きなことして、好きなこと言って、何もかもどうでもいい』そんな風に思う時というのは、自分のことしか思っていない。人間というのは、自分ひとりだけのことしか見えず、自分の外への回路を閉ざしてしまうと小さな弱い存在になってしまう。他人のことを自分のことと同じように考えられる、そういう優しさが人間を成長させ、困難な局面に立ったときにそれを乗り越えられる強さになるのだ。」
自他一体にいるというのは、その人のことを自分のことと同じように考えられるかどうかによります。つい人は自他を分けて、自分のことばかりに囚われてしまいます。私も忙しくなる時こそ、大変な時こそ、自分の身の上のことばかりを心配して初心や大義を見失いそうになってしまうものです。
そういう心のブレを芯の強さに換えるには思いやりや優しさで抜けるしかありません。
また信じるということは、言葉で書くほどに簡単ではなく意味を感じる力に比例しますから内省し自らを高めていき日々の道場で鍛えていくのみです。どんなに高望みしても、その日一日の真剣勝負の中で強く優しくありたいと実践していくしかないからです。しかしその有難い日々の機会に感謝しながら自学自習することや、前進できることが生きている歓びにもつながっているように思います。
山口良治さんの指導者としての姿勢は、本当に学ぶことばかりです。私達の掲げたミマモリングにも通じているもので、このようになりたいと思うばかりです。さらに本ではこう続きます。
「99%信じても、1%の不安があったらその通りになる。100%信じる事が大切」
丸ごと信じるということに生きざまを懸ける、そこに感動を共にする自他一体があるように思います。
通称「泣き虫先生」と呼ばれ、いつも感動しながら生徒と共に泣いて笑って感激していくことで強さも優しさもまた味わい深いものにしていくことが大切だと教えてくださっているようです。
「僕は涙というのは素晴らしいと思うんです。 みんな子供達に「負」をつける前に、涙が込み上げてくるぐらいの気持ちを出してやることによって、自分の思いが涙に変わっていくくらいの気持ちになってくれれば、もっと違ったものが生まれてくるんじゃないかな、伝わって来るんじゃないかと思うんです。 僕に涙がたくさんあって良かったなと思います。」
耐えて信じるものだけが持つ美しい涙を私も学び直したいと思います。自分の刷り込みに気づいたなら、迷わずに自分の方を変えるチャンスだと感謝を信に換えて心の芯を強くしていきたいと思います。
芯の強さこそが優しさであることを忘れないようにいたいと思います。
子どもたちを見守る信を育てていくのが私たちカグヤの強さの源にしていこうと思います。
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山口先生には、西郷さんのような大きな「人間愛」を感じます。個々人を見る前に、信仰にも似た、無条件で人間を信じるという「人間観」をお持ちなのでしょう。「涙がたくさんあって良かった」という「優しさ」を初めて知りました。そういう涙を流せるようになりたいと思います。
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中学生の頃、顧問の先生のためにもっと頑張りたかったと思ったことがありました。誰かのために強く動きたいという感覚、打ち込もうとする姿勢と過去の話になっています。今改めて刷り込みと気付いたことに真摯に向き合い、仕事に励むことがこれからに繋がるのだと感じています。
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本心と感情がシンクロすると、感動に似た涙が流れそうになります。いつも本心と対話し、本心につく穢れを清める事の大切さを感じます。
偏ってもいい、変人でもいい、傷ついてもいい。
本心と共に生き、背負うものを守って行きたいと思います。