天才

今年の一文字を決めて「才」とする。

羽がある生き物や足が速いもの、または顎が強く歯が鋭いものから甲羅を持つものもあるように天は長い時間をかけてその才を自ら磨いてきたものを大切に保育している。

天の才を活かすのは環境だけれども、その環境とはどういうものか。
全ての生命は進化成長を繰り返してきた、できないと思っていることに挑みそしてそれを成し遂げてきた。それは自分の才を発見しそれを磨き活かしてきたことで今の姿を存在させることができた。

鳥は自由に空を飛び、魚は自由に海を舞う、そして動物たちが山野を自由に駆け巡ることもすべては厳しい大自然の中で自分の才を発見しそれを長い時間をかけて少しずつ伸ばしていったから今のような自由を手に入れることができた。

そしてそういう自由と引き換えに不自由が生まれ、そして大自然の調和というものを存在させ自らの存在を存分に発揮し幸福な生命を成し遂げることができているのだと思う。

人間も同じく、様々な時代の艱難を乗り越えることで新しい人間になり続けて進化成長させていくのは万世不易の理であるようにも思う。

この先のことを思えば、ずっと生命はそうやって形は異なれど才を発見しそれを伸ばしていくことで本来のあるがままの姿でいようと思うのだと私は思う。

生まれながらに天から与えられたその才を自らが知り立てることこそ、雄大で悠久な流れに身を置き自分にしかない天命を全うすることであろうとも私は思う。

今年はそういう才というものを見極め、あるがままを受け容れることをテーマにすることにした。

しかしこれは簡単なものではないことはわかる、かの吉田松陰にもこうある。

「天の才を生ずる多けれども、才を成すこと難し。譬えば春夏の草木花葉鬱蒼たるが如き、是れ才を生ずるなり。然れども桃李の如きは、秋冬の霜雪に逢ひて皆零落凋傷す。独り松柏は然らず。雪中の松柏愈々(いよいよ)青々(せいせい)たり。是れ才を成すなり。人才もまた然り。」

私の意訳になるけれど、「天はその才をその人に生じさせるけれどその才を成すということは本当に難しい。それは例えば、春や夏に草花が青々と茂っているようなものでこれはその才が出ているからである。しかし、桃や梨のようなものは霜や雪に遭うとみんな枯れてしぼんでしまう。そうした中で、独立する松や柏はそうはならない、寒風風雪に耐えて益々青々としている。これは才を成すということに例えている。」

そしてこう続く。

「少年軽鋭、鬱蒼喜ぶべき者甚だ多し。然れども艱難(かんなん)困苦を経(ふ)るに従ひ、英気頽敗して一俗物となる者少なからず。唯だ真の志士は此の処に於て愈々激昂して、遂に才を成すなり。故に霜雪は桃李の凋(しぼ)む所以、即ち松柏の実する所以なり。艱苦は軽鋭の頽(すた)るる所以、即ち志士の激する所以なりとあり。」

これは「人の才もこの自然と同様で、幼少のころには頼もしき才能を喜ぶべきものは非常に多いが、艱難困苦を経るにしたがってその英気は次第に退廃していき、気が付くとどこにでもいる一俗人のようになっているものが少なくない。だが真の志士はこういう苦境や困難において益々激昂し、自らを発奮し、その才を開花させずにはおかない。これが、霜雪は桃梨のしぼむところであり、松柏の実るところである。難苦は軽鋭の退廃する所以、志士の檄する所以である」

別に松柏がよくて桃梨がよくないというわけではない、つまりはそうやって艱難辛苦を怖がって才を伸ばさないようなことをするのではないという。真の志士は、そういうことを怖がっているのではなく進んでその困難の中で自分の才を伸ばしそれを活かし進化成長させていくということを言っているのであろうと私は解釈する。当然それは、同じ環境下であったとしても志士は決してそこに甘んじず徹底して自らを修己練磨してさらに厳しいところへと前へ前へと進んでいくのだ。

つまり、人はその才多しと雖もその才を伸ばすために自ら進んで果敢に勇気を振絞り挑戦していかなければ自分にしかできないことを掴むことはできない。

よく安易に才能を伸ばせるような教育や仕組みが商売などでも蔓延っているし、よく自分にしかできないことを軽々しく頭でっかちにやっている現場を見ることもあるけれど、本当の才能はそうではなく常に自らを励まし発奮させつづけより新たに変化し挑戦していく中にこそあるもの。

天の才を得、それを活かすにはその才を信じて100パーセント注ぎ込む努力と精進により得られるものであろうとも思う。

今年もまた新たにはじまったが、常に初心原点を忘れず志を懐に抱き四季あれどもその上には壮大な蒼天があることを信じ、その自らの才を見出しきわめてこの時代や世界のお役に必ず立てたいと願う。

あの幼少の子どもたちの模範になるような純粋な生き方ができるよう、そして個々の個性を尊重し、平和で幸福な社会の実現のため、不二の意志を実践していきたいと誓い今年の年頭所感とする。

感謝

  1. コメント

    楽な時だけ才を使い伸ばそうとしても、大事なのは困難に立ちはだかった時にその才が使えなければ、せっかく先祖から頂いたその才も無用の長物となってしまうのだということ。そして、才を頂いたということは、何かの役割をもって世の中に生み出されたのだからこそ、その才を磨き、成すことが出来なければ、この世に生まれた本当の意味にたどり着くことができないということについて、今の自分を振り返ると、襟を正して日々を歩んでいかなければならないと改めて感じます。辛さや厳しさこそチャンスであり、そのチャンスは自分で前のめりにになってつかみに行ってちょうど良いタイミングなのだと学びました。主体性を欠き、つかみに行くタイミングを逃して後ろ髪を掴むことにならないように、タイミングを大事にしていきたいと思います。

  2. コメント

    誰かに比べられ、誰かと競わされたりすることが多い環境で育つと他者の才に眼を向けがちで
    自分にないものねだりをしてしまうことが多く、自分の才に気付いていないことがあるように
    思います。自分の才に気付くためにも自分自身の成長と向き合い、自己肯定を持っていきることができ、意識が他者支援へ向かっていくのだと思います。
    また世界を見渡すと発展途上国では貧富の差が大きく、自分が生きていることで精一杯の人達も
    多く存在している中で、先進国の日本国としての才もあるのだと思います。
    自分自身の才に気付き、国としての才を導いていけるよう、自分の社会貢献の意味を深めていきたいと思います。

  3. コメント

    人間の本来のあるべき姿が一体どういう姿なのか?本当に考えさせられます。様々な問題が多い中で一人一人が先ずは自分たちのあるべき姿を考える必要があるのではないかと思います。私たちは人間として生まれてきた最低限の使命があるように感じます。又使命を感じその中から自分の才を発見、自覚し成長し続けていく事が本来のあるべき姿ではと思います。その為にも困難を恐れずにつねにそこから成長を感じとれる自分でありたいと思います。又自分たちの子孫にも生きていくうえで最低限必要な生きる力を伝えて行く為にも、自分たちが実践しその大事な事を残していかなければと思います。

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