昨日、不思議なことに自分の人生に大きな影響を与えるお寺に参拝することができました。このお寺は、赤山法華院といい円仁と非常に深い所縁があるお寺です。この円仁は日本人最後の遣唐使と言われていますが、世界でも有名なのはその旅行記です。
この円仁の記した「入唐求法巡礼行記」は、玄奘の「大唐西域記」、マルコ・ポーロの「東方見聞録」とともに、三大旅行記のひとつとされ、唐の国や仏教中心地の様子が鮮明に窺える古代史の第一級資料となっています。
特に他の2つのものは誰かに口述したものを記入させたのに対し、円仁のものは自筆で記したものです。その内容は、9年半の中国での滞在記ですが全てのことが思うようにいかない中で、それでも真理を求めて已まず命を懸けて人々のために学ぼうとする姿勢が感じられ、少し読んだだけでも心が震え魂が揺さぶられる思いがします。
帰国後は、円仁は天台宗の指導者として、比叡山において教えを伝授するだけでなく、当時文化の遅れた東北の人々の苦しみ悲しみを救おうとして、寺院の建立、土地の開発、産業の振興に力を尽くしました。青森県にある恐山菩提寺なども円仁が開基したものです。
訪問した赤山法華院はこの円仁を大切にしてくださった新羅人たちの建立した寺院です。中国で仏教が弾圧され、旅券も発行されず、帰国できない、すべてないもの尽くしの中で円仁にインスピレーションを与え、具体的な方法までを与え、そしてその道を諦めさせないで見守りその求める道を陰ひなたから助けてくださった所縁の場所です。
天啓というものは、いつもピンチの時こそその周囲に必ず有難い見守りがあるものです。すべてのものは一人でなるものではなく、独りでになるものです。その独りでになるものは必ずそれを助け導く周囲の存在があるということです。
同じように円仁もここで仏様に出逢い、その道を示されたのではないかと現地で改めて直観しました。この時の助ける方も助けられる方も、その人間の間にある思いやりや真心が共に天に通じたことを忘れまいと今でもその赤山禅院では大切に語り継がれていました。
この新羅人とは、韓国人の先祖であり言語のルーツを辿ればそこに至ります。その当時からずっと私達日本人と韓国人、中国人が交易をし、共に助け合ってきた歴史に改めに感無量の思いがしました。1200年前のこの三国間の関係と、今回、韓国の友人とのご縁で中国の方に導かれて訪問したこの機縁に不思議な感謝と感動を覚えました。
時代が変わろうとも、私たちが大切にしているものは何かを見失っていけません。
真理を求めて旅をすることも、その旅の中で大切に受け継がれたことも、如何に世界が変わろうとも変わらないものがあるのです。その変わらないものを大切に暮らしていくことが、真理を体現することになり、その脈々と受け継がれた血縁と記憶をこの時代にも復興させていくことが私達子孫の使命の一つではないかと思うのです。
今回の仏縁は本当に意義深いものになりました。
東北の巡礼から、縁を辿り、気が付けば赤山での教えに至りました。帰国後もまた辿りたいところが大いに増えました。まだまだ所縁を楽しんで、直観の赴くままに学び続けていこうと思います。
学志一如、実践を貫いていきたいと思います。
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円仁の『入唐求法巡礼行記』の概要を拝見しましたが、出航から帰国まで、苦難と波乱続きの9年半は、「天命」の厳しさを教えてくれます。また、いかに無理難題に見えても決して諦めることなく法を求めるその志と行動力、さらに、そこまでしてでも求める価値がある「法の存在」というものも、私たちに教えてくれているようです。天命に従うことに命を懸ける人、そして、その人を助けることにまた命を懸ける人がいてくれて現在があることに感謝するとともに、自らの真理探究の甘さを痛感します。
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出発前夜、このタイミングで出会う縁に不思議なものを感じます。後世まで残る意味深い代物に、当時の時代背景とその人自身を感じる記録に積み重ねの厚みを感じます。長い年月をかけて堆積していくように、ますます発見されたときに脚光を浴びる功績に、目の前で起こる一つひとつがその積み重ねになるのだと感じます。これから始まるこの意味をしっかり味わいたいと思います。
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ワクワクしてしまうものは、自分の天命、使命に関わるものなのだと感じています。そんな有難い機会を無駄にせぬように、頂いたワクワクを頂いたワクワクの量と同じか、それ以上に誰かに伝えたり、渡したりしていければと思います。