血を遺す

中国での変化を来て観ていると、文化や文明がどのように入れ替わっていくのかを実感することができます。これらは急速に変化する中で観えてくるものがほとんどで、必ず大なり小なりどこでも起きていることですが自分の体験から観えてくるものはニュースや本で得る知識よりも確実です。

私が中国に居た17年前と今と比べると、目に見えて著しく変化し定着したところは交通手段、通信、住居です。

圧倒的に、自家用車の数が増えタクシーの数が少なくなり、新しい住まいとしてのマンションや別荘が建ち、携帯電話やパソコンを使ってインターネットをしています。経済が発展していくと、今まで憧れていた生活を手に入れるために過去の考え方を若い人から順に捨てていきます。

現在の中国の若者は、先進国の文化や流行に敏感でかつての古い考え方を次々に否定して新しいものを吸収していくのです。その憧れとして、文明や文化の潮流を読み、そこに自分たちを移動させていくようにも思います。

特に不便な生活から便利な生活へと向かう力は凄まじく、どんなにかつての古き善きがあったとしても突然生活が変わった人たちを前にすると人はその生活に憧れるものです。

こうやって古いものが新しいものにとって代わるということは私達人類はかつて何度も起きたように思います。もちろん、ゆっくりと移動していく民族と、過激に吸収していく民族がありますが、本来は真似をし受け容れることで変化していくように思います。

かつての縄文時代から弥生時代に入る際にも同じようなことが起きたのではないかと私は実感しています。

昔から道徳と経済というものをどのように一致させていくのかというのは、この温故知新を和合させていく人物の課題でもあります。どちらかが良し悪しではなく、そのどちらの価値も正しく受け容れてそれを合致させていくところに人々の主体性が必要になるように思います。

単に時代に流されるのではなく、互いの善いところを吸収してそれを新しいものへと創造していくということができるとき、そこに持続可能な社会のテーマがあるのです。

不思議なことに、いくら外見を変えたとしてもその中身まではなかなか変わることはありません。これが民族の持つ血脈と血筋なのかもしれません。いくら表面を同じにしても、そこに流れる血がその血で在る以上、私たちはその血を活かして他の文化と混ざり合いつつ新しいものへと変えつづけていく宿命があるように思います。

風のように過ぎていく時代の中でも、どのような生き方、働き方をしたのかは、その文化文明の中で自らを生き切った私たちの血を如何に残していくのかが大切なことのように思います。

異国にいて同質を確かめればその血の彼方と行方の間に生きている私たちの存在を感じました。引き続き、由来の旅を続けてみようと思います。

  1. コメント

    日本も戦後、外見をどんどん変え、便利で格好いい生活を謳歌してきました。そのなかで、価値観も大きく変わってきました。しかし、その一方で、日本人として大事なものを忘れてきたようです。捻じ曲げられた歴史認識を正して、いま一度、日本人の血を思い出し、日本人としての誇りある生き方を取り戻すことが、私たちの使命でもあるでしょう。

  2. コメント

    お盆を迎え、家族と過ごし、親兄弟と過ごす中で、繋がりとしての血を感じます。
    しかし、妻とだけは、血が繋がっていない事実もあり、余計に有難さと奇跡を感じます。
    お互いの血を分け合い、後世に遺す。
    生命としての役割を改めて感じるお盆を過ごさせて頂いています。

  3. コメント

    数年の間に目まぐるしく移り変わる姿に、受け止めきれない心境に陥ります。血、そして赤は国の歴史そのものを現し中国とも関係があるようです。試験勉強のためにではなく、自国の歴史を学び何をどうしたのか、なぜそうなったのか、一つずつ紐解いていきたいと思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です