中国に来て、改めて流行というものについて観察をしていると気づくことが沢山あります。以前との変化の中で如実に表に出ているもので若者たちの食文化の変化があります。
最近の中国の若い人たちは日本食や欧米の食が人気で、今では当たり前のように外国の料理がスーパーの陳列に並んでいます。寿司やハンバーガー、サンドイッチからまるで日本と同じようにそもそもこの国の人達が何を食べているのか分からない程に混ざり合った食生活がはじまっています。
そしてデパートなどでも、たくさんの人たちが回転寿司を食べていたり、日本のラーメン、たこ焼きやカレー、ピザや世界のスイーツなどを楽しんでいます。若い人たちにとっては、当たり前に他国のものを食べているうちに自国のものが何かも思い出せないように変化しています。
実際、いくら国家や誰かがこうあるべきだと教え込もうとしても若い人たちはそれに反発するものです。なぜなら、流行というものは時代に合った考え方でありいくらそれを誰かが意図的に防ごうとしてもそれは止められないものだからです。
若い時の反抗心というものは、体験させることを防ごうとする大人側の都合に反抗しているのであって本来は流行してきた時代の体験に自らを合わせていこうとする本能があるからどうしてもやってみたいと思うのです。何かを一方的に正しいと押し付ける前に、自分たちが流行から遠ざかっていないか、自分の思いばかり強くて本当に大切なことを忘れているのは本当は自分の方ではないかと矢印を自分に向けることが重要であろうと思います。
好奇心は体験していなければ減退していくものです。自分の減退していく好奇心をよそに他人の好奇心まで奪っていくようであってはならないと思います。体験を積み重ねていくことは、私たちのもっとも叶えたい願望の一つです。
そもそも、これらの記憶を忘れたくないということはどういうことかといえば人生で大切な体験をしたいという願望です。例えば、人間の間に存在する愛や勇気、真心や親切、いくら時代がどのようであっても人としての素晴らしさ、感動を忘れたくないと本心で思っているから人は生きて体験をしたいと強く願うのです。
先に経験した人たちが体験をいくら暗記させ忘れるなと誰かに刷り込み管理しようが、経験をしていない人たちはそれが自分にとっては単に知識上の産物のみであるのはすぐに見抜いてしまいます。だからこそ若い人たちは素直に、その同じ体験をしたいと願うのです。同じ体験をすることで、その大切だと忘れてはいけないとしていることを思い出すからです。親にできなかったことをやりたいと願うのも、自分にしかできない体験をしたいと願うのもまた大切なことを忘れたくないという記憶があるからです。
この大切な記憶というものは、そもそもなくなることはありません。人間には常に心があり、その心は大切なことを失わないのです。何万年も何十万年も前から愛することを知り、感謝を知り、自然を知り、協力の尊さも知っています。他にも、悲しみの中にあるもの、歓びの中にあるもの、幸せの中にあるものなどもすべて覚えていて忘れることなどありません。
そういう元来のものを忘れないようにと伝えることが本来の歴史のあり方ではないかと私は思います。しかしそれを便宜的にいくら一方的に押し付けても、ただの暗記の強要にしかならず、若い人たちはそれを素直に反対するように思うのです。
良し悪しの基準ではなく、人間というものの基準で物事を捉えることが不易と流行を見極める本質であろうと思います。
生きていれば誰でも齢をとります、かつて若い人たちは今では年寄りです。だからこそ、その時代時代に体験したことはその時代時代に体験を通して引き継いでいくように思います。つい人は体験したことでそれをさせたくないとかさせようとか押し付けようとしてしまいます。
そうではなく、その体験の中にある尊いものを実感できるよう見守ることが体験をいつまでも忘れていない証拠だと思います。せっかくこの世に生まれてきたのだから、人間としてしかできない体験、その人でしかできない尊い体験を重んじていけるようになりたいと思います。
時代のことをとやかく言う前に、自分の体験を高めて新たに求め続けたいと思います。
コメント
「愛という名を借りた大人の押し付け」を、子どもとしても感じてきましたし、今は、逆に親としても時おり考えることがあります。親子孫と世代の違う人たちが一緒に生きることは葛藤もありますが、そのなかにこそ「不易流行」を見極める智慧も生まれてくるのかもしれません。お互いのその時代ならではの体験を大事にしていきたいものです。
コメント
減退している自分の好奇心が、他人の好奇心までをも奪う。その言葉に強い危機感を感じました。自分がこうだった、それはこうだ、という価値観を押し付けずとも、自分が興味が無いだけで、奪うことになるのだと学びました。きっと何かあるのだろう、きっと良いことになる、有難い機会になるという、自分の姿勢を作り直して行きたいと思います。
コメント
赴くままに行動させて頂ける環境があり、そこには多くの人が関わっていることに離れることで気が付くことがありました。一方で目に映る光景の現実とのギャップに考えさせられることばかり。二宮金次郎のように生活の中から例え話を用い、吉田松陰のようにどこでも誰にでも教える、場所や流れに逆らわず体験から本質を掴み、目指すべき方向に合わせていきたいと思います。