自覚大師円仁のことを深めていくと、その生は大義のために生きたことを実感します。
日記を読み進めていると円仁は、最澄の志を受け継ぎその教えを自らが成し遂げるために求法した生涯であったように思います。
夢枕に最澄が何度も立ち、円仁のことを思いやる言葉を遺しています。そこには師弟の絆があり、その御恩への感謝へ報いるために仁義を尽くしたのではないかと私は思うのです。
高齢でありながら、3回目の渡航でようやく唐へ渡ってからも、9年の歳月をかけて師が求めたものを探し出し、持ち帰り、竟にはその思想や文化、技術を日本の各地へと赴き天台の真理として仏の心を弘げるのです。
その証拠として、全国に円仁が開基、あるいは中興となって寺院が600か所以上になります。(天台宗典編纂所の調査による)昨日も、福岡県田主丸にある最澄と円仁が来て改宗をした寺院に参拝することができましたが、そこに遺志を感じることができました。
師を大切に慕い、その恩恵や感謝を自らの実践とその体現によって顕そうとする真心の人。その人柄が浮かんでくるのです。遺言では、「私の墓には一本の木を植えておけばいい」といい、これは二宮尊徳と同じように謙虚に分を超えずに生き切った人の最期の言葉として深く尊敬します。
また帰国後も、中国でお世話になった人たちへの恩返しを忘れずに来日の際の衣服や住まいなどを提供するようにし、また岐路で大変お世話になった赤山明神を奉るための寺院も遺言によって弟子たちが実現しています。
どの業績をとってもみても、大変な謙虚な姿に感動することばかりです。
表の中には出てこない、陰にあるものの偉大さ。その蔭の働き手の縁の下の力持ちによって今の人達の心にいつまでも生き続ける仏心仏道がある。その仏弟子の鑑のような生き方をされた円仁の義から学び直すことができました。
一代では成し遂げられない夢を実現するには、表裏一体、自他一体、仁義一体、師弟一体の業績があってのことかもしれません。その純真な思いに応えるのもまた真理です。曼荼羅に、胎蔵界と金剛界があるように、宇宙にも陰陽があるように、すべてはバランスの中にある一筋の光の中に真実が存在するのかもしれません。
1200年の時を超えて、成し遂げた偉業を観ればまだまだ学ぶ事ばかりです。
先人の生き方から学び、今の自分を尽くしていきたいと思います。
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これまで多くの偉人に学んできましたが、「信仰者」の魅力は格別です。「仏我一如」と言いますが、絶対の信仰に生きる人の不動心の背景には、求める法の貴さを理解する智慧と非常に純粋な信仰心があります。純粋に、真心で生きた信仰者の光り輝く日々を、ひとつの理想像として心に刻んでおきたいと思います。
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夏期実践休暇となり、普段の仕事でいかに理念の実践、自他一体の実践の機会を頂いているかが身に沁みる思いです。家族として、一族として、一体になる前に、実践休暇を通してたくさんの有難い絆を感じ、古きを学び、また自分自身が愚かで、欲深いモノを持っていることにも気付く機会となっています。より一層、一体に近づくように精進したいと思います。
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所縁の地は、今も人と人を結ぶ場所としてあり続け夢は今でも続いているように思います。これからの積み重ねはいかようにも変えられ自分自身との向き合いが質量になるのだと思います。これまでどこか向き合いきれない自分がおりましたが、仕事に対する責任の重さを感じています。踏み出すきっかけは何であれ、自分の言葉で語る為に踏み出していきたいと思います。