目的と手段というものがる、その目的を達成するためには様々な手段を使ってそれを実現していくのが人生なのだと思う。
そうしていく中で時として手段が目的とはき違えてしまうこともある。例えば、何のためにそれをやるのかという問いをする場合、それをすぐに目的が言える人と手段しか言えない人とがいる。文字通り、目的が言えるのはそれが何のためで何処に向かっているのかを理解している人であり、手段しかいえないのは何のために何処に向かうのかを知らない人であるといっていい。
人生も仕事も同じく、何のために生きるのか、何のために働くのか、何のためにこの人たちと人生を共にするのかなどを考えず、闇雲に受け身に流されていては近視眼的なところの出来事にばかり目を奪われ本質的であることを忘れてしまう。
そういうことになるのは自分が全てをすることになっていないから甘えられるのであり、全ての責任を誰かのせいにしてしまえる土俵にいつまでも自らを置いているからでもある。
目的を持って取り組むということは、誰かにしてもらうややってもらうことではなくすべては自分が何のためにかということを常に問い続け役割を果たすことをやっているからできるのである。
しかし忙しくなったり余裕がなくなれば近視眼的になってしまうことということは時折あるもの。これは師からの教えにもあったのだけれど、車酔いで例えれば近くばかりみているから酔っているわけであり遠くを見ていればあまり酔いはしない。しかしだからといってあまりにも遠大なところを観ても効果がない。少し遠くを見ながら近くのことも見えている状態というのがもっとも自分を目的にあわせていけるのではないかと思う。
そうやって目的を見定めて遠くを計れば何をすればいいのかという積み上げていくべき手段というものは必要なことは徐々に善く分かる。
そしてそれを兼ね備えた一流と言われるビジネスマンは、なぜ一流なのかというと何のためにや本質であることを重視するためにそれに必要なビジネス上のスキルやマナーなどを体得していくからである。
それは目的に到達するための単なる手段として粛々と研鑽を積むのだ。
ここでビジネスマンにある大切なビジネスマナーというものもある。
細部を言えば、あいさつ、服装、話し方、書き方、などからさら大きくすれば、責任、約束、時間管理、思いやりや部下指導などビジネスマンとして持っていなければ信用されなくなるからマナーというものがある。
これもあくまで手段であり、当然目的として何のためにがあってのものであるから目的次第では習得すべきものも変わってくる。
もしもコンサルタントであれば、相手に一目もに二目も置かれるのだから当たり前のことを遣っていてもだめでそれが本質的に目的に沿ったものでなければ効果もない。常に当たり前以上に価値を維持するために緊張感を持って日々にチャレンジしていなければ価値を維持できない。
私たちで言えば子ども第一主義を行うために必要な手段として、様々なビジネスマンとしてのマナーと教養、そしてその社会の中での自覚を身に着けることがまず肝心であるのだと思う。
よく保育者や教育者も最近はそういう自覚を身に着けなくてもいいやと何でも「まあいいか」でいい加減にしている人がいるけれどそれでは相手は話も何も聴いてもくれなくなる。
子どものことなど大切なことを扱うのならば当然、必要なマナーは習得しなければ人間関係を正しく維持するための土俵にも乗りはしない。働き甲斐や遣り甲斐、生き甲斐をもって楽しく豊かに人生を充実したものにして人々と共生し貢献するなら、当然その手段としての相手を心地よくしない行為はすぐにやめるようにしないといけない。
本質であるとは、当然知行合一の実践ができているということが前提であるからだ。
ピーター・F・ドラッガーのこういう言葉がある。
「組織にも個人にも価値観がある。組織で成果を上げるには、個人の価値観と組織の価値観が共存しえなければならない。そうでなければ、心楽しまず、成果も上がらない。」
どんなに自分の価値観に執着しても、組織にも価値観があることを知り、それを自分の価値観と共存するための努力、つまりは心配りや配慮、心地よくしていこうということがなければみんなが楽しくならずそうなれば組織や会社全体としては成果が一向にあがらないということだ。
皆を楽しくするのは、自分だけが楽しければいいのではないし一部の特定の人に自分だけを売り込めばいいということではない。自分の価値観ばかりを通そうと躍起になれば人はみんな心苦しくなってくる。
自分が組織の一員を自覚するとき、その組織が一体何のために存在しているのか何処に向かおうとするのかを何よりも協力して優先していくことで自分の価値観を共生させていくということを自覚することが第一であると思う。
今は、自分本位に自分の価値観ばかりを優先して周囲のことをあまり気にしないという自分勝手にいることが自由だとはき違えている人が増えてきている。
ピーター・F・ドラッガーにさらにこうある言葉で締めくくりたい。
「果たすべき役割を問い直すとき、責任が生まれる。責任を持つとき、はじめて自由となる。」
ビジネスマンとしての本質とはそれのことである。
カグヤクルーは世界での役割がはっきりしている以上、まずは自立した一流の人材として自分を育て成長させていくことで、目的を達成するために必要なすべての手段を習得していくことを子どものためにも実践していってほしいと思う。
大事なものを守れる本当の強さを手に入れていこう。
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自然界の森は同じ種類の木だけではなく様々な木々が存在することで共生し存在ができていることを思うと、共生の理念は個が先に大事にされるのではなく、集団や組織が優先されるのだと改めて感じます。その森で暮らすにはその森の風土・文化に自分の価値観や個性があっていないと自由は手に入れられないし、本当にやりたいことも実現が出来ずに枯れてしまうのだと学びました。また、それだけではなく、周りの木々にまで悪影響を与えてしまうこともあるのだと思います。自身の価値観を守ることは目的ではなく、価値観を用いて生涯で何をするのかということが大切なのだということを思い知らされます。自分の命、特性を使って何を成し遂げるのかという目的を明確に持ち、そこを見て日々を歩んでいきたいと思います。
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最近は目的を持つからこそ人は幸せに生きることが出来るのだと思います。毎日をただ単に流され生きているのであれば、それは目的を持たずにただ手段として何かを考えずに遣っているだけにすぎないという事は今までの体験で感じているところです。自分が遣っていることに意味を持たないというのは何ともさみしいことだと思います。大事なのは何のために遣るのかであり、行動はある意味で何とでもなるのだと思います。これからは、すべての事に対して何のためにという自分への問いかけを常に大事にしたいと思います。