世の中には、筋道というものがあります。それを道義といいます。
例えば、天に照らせば感謝することや人に照らせば恩に報いること、そういう生きていく上で大切なことを学のが道義です。
一般的には、今の時代はあまり誰も叱らなくなったといいます。この叱るというものは何かと言えば、道義に反することをするから叱るわけであって意味もなく叱るのではありません。
昔は、親や先人たちが親身になって自分の将来のことを長い目で観てくれてよく叱ってくれました。私にも人生の岐路や大事な場面は、必ず善い師や先生、友たちが自分を間違った方向へと歩まないように叱り飛ばしてくれたものです。
そして今があるから、その感謝に報いたいと真摯に道義を重んじて生きたいと願うようになったように思います。
叱る方も叱られる方も、どちらもとてもそこに深い信頼関係があることに気づきます。叱られるということは、相手から叱られる自分でなければ叱られることもないからです。
自分がそれだけ叱られる自分をさらけ出して頼り甘えることができているということが一つ。そして甘えないで必ず学びモノにしていこうとする真摯な信じる姿勢があることが一つ。
つまりは、自立ということと自律ということを体現しているからこそ人との間に尊い信頼関係というものを一期一会の人生の中で邂逅していくことができるように思います。
長い目で観た時や経験から感じた時、そして誰よりも相手のことを思う時はその道義を説かなければなりません。しかしそれはとても難しいことであり、自我感情などを超えてその人そのものが自分であったらと思う必要があるからです。
もしも自分がその人だったらと思うなら、気持ちは分かるけれどならぬものはならぬとその筋道を正しく伝える技術もいるからです。
いくらコンサルティングをして経験を積んだとしても、その一つ一つの正対というものは常に真剣勝負ですから試行錯誤、錬磨研鑽していくしかありません。
自分が今、学ぶ必要があるのは何か、筋道に従って全て実践により掴んでいこうと思います。
たくさんの愛をいただいて育ててくださった方々のことを心に刻みその恩義に感謝と実践で報いていきたいと思います。
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「筋の通らないことはいけない」親によく言われました。本来なら、そう間違うことではありません。しかし、わかっていながら仁義を欠くようなことになってしまうのは、何かの事情により、どこかで理屈が入れ替わってしまうのでしょう。なぜ生き方に迷いが生じるのか?!そこを見極めなければいけないのではないでしょうか。
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「親の心子知らず」ではないですが、目上の方や周囲の方の想いは思っている以上に深く、そこに思いを馳せることで今の自分がいることに気づきます。葛藤の中での気づきは有難いものです。忘れかけても次は自分で気づけるよう、自分のことに捉われず周囲のお役に立てるよう尽くしていきたいと思います。
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選ばないことを選択するということも、道義から反しないでいる為の一つだと感じます。どうしても選ぼうとする心が働くと、選びたくないものは道義に合っていようと心が動かず悪いものになってしまうと感じます。選ばないと決めると、全ては良いことにしていくだけなので、とても学びが多いように感じています。