御蔭様の実践

私たちは様々なものを伝承してきたことで今の自分たちが生きています。今の私たちが日本人であることも、それは先祖から代々受け継いできたものが今でも存在していることの証明です。

例えば、神社でも里山でも民芸品であってもそこには形もありますが大切な心があります。自然と調和していこうとする心や、自然と共に暮らしてきた私たちの生き方が遺されているのです。そういうもの一つ一つの中に由来があり、その由来を辿ることで心は顕われます。

そもそも伝承という字は、「伝える」ということと「承る」という字で構成されています。これは伝える側とそれを受け取る側という字です。何を伝えて何を受け賜るのかは常に受け賜ると感じた側が将来、子々孫々へ伝えていこうとするはずです。

生きていく中で、自分の時代を生き切ろうとするときそこに後の人達へ託していこうとするのが人間です。その根本には感謝があり、今まで自分がたくさんの人達の御蔭で育ててくださったこと、多くのご縁の中で大切な心を戴いたこと、そういうことを恩返ししたいという気持ちからきているものです。

この恩返しをしたいという心は、常に私たちはつながりや絆の中に見出しているものです。

自分の体験したことは、体験させてくださった偉大な天や自然の見守りがあったことに感謝するのです。この世の全ての生きものや自分がその生そのものを体験できるのは、いつもそこにやっていいんだよという温かな優しい自然の親心があるのです。

そういう親心をいつまでも忘れないでいたいという気持ちが、伝承に籠められるのです。

やってきたことを伝えていくというのは、御蔭様の実践であるのです。日本の心に御蔭様の実践があることは素晴らしいことで、その御蔭様こそが理念そのものに転じているのです。

有難い日本の心に触れられるとき、そこに伝承していくものの価値に触れます。

私の仕事の使命をまた一つ発見しました。
有難うございます。

  1. コメント

    伊勢神宮をお参りすることを『御蔭参り』と言ったように、この「おかげさま」という言葉の背景には、天地神仏のおかげ、ご先祖様のおかげ、世間様のおかげという「大きな見守りに対する感謝と報恩の心」があります。また、「悪い出来事」の後に「でも、そのおかげで」と続けると、過去の出来事が、未来を善くするためにあったという「新しい意味」に気づかせてもらえる善転の言葉でもあります。おかげさまで、今日も元気に過ごせ、また新たな学びの機会を得ることができました。

  2. コメント

    気付いたことをそのままにしていると、遠慮が生まれ気付いているのに行動にならないもどかしい気持ちを感じます。起きる出来事を受けとり、学びとしていくのには自分自身で考え至ったところなのだと感じています。考え深めなければすぐに流される自分の弱みを把握し、しっかりと受け取りお蔭で学ばせて頂きましたと謙虚な態度となれるよう、遣るべき努力は怠らずに取り組んでいきます。

  3. コメント

    何かの局面で、大変な方と楽な方、どちらを選ぶかという時に、大変な方や自分の為よりも人の為になることをと選択できているときに、おかげさまの実践を感じています。そもそも、生きていることも、仕事をさせて頂いていることも、このように今日のご縁を頂いていることも、全ては頂いていることなのだと体が素直に体現できている状態は、ご縁の奇跡の世界に導いて頂ける大切な状態だと思います。とてもシンプルなことですが、心は利己的で難しく感じます。感情に持って行かれないように、自分の中に法則を持ち続けて行きたいと思います。

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