人は身体が発達していくように、心というものも発達していくものです。
人が発達するということは、自然の法理の中で発展していくということですから自然と同じように根から養分を吸収し成長し開花し実をつけ種になるという経過の中で何に気づくか、何を生きるか、どう生きたかということを学びつつ調和していくのです。
調和というのはバランスのことですが、様々なことの中でどこが一番バランスの善いところなのかのコツを掴んでいくことで自然体に近づいていくのです。自然体というのは、身体と心の発達が健やかであるということです。
心身が健やかでいるということは、そうやって今という時事の中で自分らしく生きていけること。つまりは自分の生命を全うしていけるような生き方ができることのように思うのです。
みんな生まれてきたからには、初心があるものです。初心とは動機のことで、その動機がどのようになっているのか、どのようになっていくのか、それをどう成長させていくのは自分次第です。
有名な言葉に、京セラの稲盛和夫さんの言葉に「動機善なりか、私心なかりしか」がありますがあれは私になりに解釈すると常に初心を忘れていないか、初心を善に向けて育成しているかという自戒の念のように思えるのです。
動機というものは、物事を行うときの心のことです。
その動機をいつも今に対して正しくしていこうとすること、心を正して素直に取り組んでいこうとする誠の姿勢、そういうものが心を育てていくのです。心を育てていけば、自ずから身体もまた育ちます。そして身体も澄ませていこう、正していこうと生活を改めていくことでまた自ずから心も育とうとするのです。
決心という言葉があります。
あれは、心がどうしたいのか、自分の動機はどうしたいのかを常に今に正対し向き合い、その向き合った気持ちをやり遂げてあげることのように思うのです。心の動機に対して、身体が動いてくれればそこに健やかな生き方、清々しい足跡が残るのです。
人は生きていることで出逢います。
出会いは、心を育ててくれる素晴らしいご縁です。
心が日々に成長していくのを、初心伝承を忘れないことで見守っていきたいと思います。
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誘惑に負けて迷いの道に入り込み、人生の「初心」を忘れたときに、「自分の人生」から外れていくのかもしれません。これまでの病気や人間関係の悩みなど、思い通りにいかない苦しみは、その「初心」を思い出すためのきっかけを与えてくれていたように感じます。「初心」こそ、「自分の人生の道標」です。日々現実を乗り越えることで、「初心」を成長させ、「自分の人生」を堂々と歩みたいと思います。
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頭でイメージした通りにいかず遣ろうと決めた半分もしないうちに元に戻っている自分がいます。自己都合で止める言い訳ばかりが上手くなっていきますが、元に戻る術を除き幅を広げていきたいと感じています。イメージしたものが僅かなものでもカタチとして仕上げ、修正を繰り返していきたいと思います。
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入社当初の自分自身を思い返しました。
目標、夢はあれど、他は何もありませんでした。
だからこそ、自分自身に縛られる事も、わかった気になる事もなく、初心そのもので現場に出続けることが出来ました。それが、重要であり、それが、本来なのだと感じます。初心を補う経験や技術を捨て、改めて初心に生きたいと思います。