自然との協働作業

自然を鏡にしながら日々のことをふり返ると不思議なことばかりを実感します。

私たちは自分から見ている世界のことを一般的には世界だと信じ込んで生きているものです。言い換えれば実際は自分が何かをすることで世界が動いていると思い込むのです。しかし当然のことですがが、自他同時に様々に世界は一瞬たりとも変化して已むことはありません。

どんな瞬間瞬間も同時に世界は循環しているのだから様々なものはつながりの中でそれぞれに存在するのだから自分も全体の一部としての役割を果たしているものです。

そこから全体を観てみれば、私たちは何らかの協働作業をしているともいえます。つまりは自分だけで何かをするのではなく、同時に目には見えませんが確かな何かと一緒に何らかの存在と常に一体になって常に作業をしているのです。

例えば、呼吸をするにしてもその呼吸を通して全てのいのちとつながっています。自分が一呼吸すればその呼吸を通じて世界の何かと協働します。他にも自分が生きるだけでも、食べ寝て何かをするのですから何らかの影響を周囲に常に産み続けているのです。

私たちは知らずしらずに、そういう全体の自然と一体になって共に生きているという境地があるということです。

生き方というものも全体と関わりが深いからこそ、一度きりの人生を自分が生きるのにどう全体と協働していくことがもっとも循環をより善くするか、そしてその自然の何と一体になっていくことがよりよい繫がりを活かすことになるのかと考えるということです。

生きていくというのは、時代というものとの協働作業、流行との協働作業、価値観との協働作業、小さない生きものから大きなものまで共に地球のいのちの協働作業、大宇宙との調和を協働するとも言えると私は思うのです。

自然の叡智を実感することは、その時々の気候運行天体に合わせて生きることで得られるのかもしれません。彼方からの直観もきっと、そういう処から此方へと映るものかもしれません。

生きることも死ぬこともすべては自然との協働作業。日常の些細なことでも何かを協働していることを忘れず、子どものように一切の手を抜かず出来事のありのままを自然のままに味わっていきたいと思います。

  1. コメント

    自分の使った水が、川へ流れ、海に貯えられ、蒸発して雲となり、雨水として降り注ぎ、再び自分の元へ戻って来るという「水の循環」の話を子どもの頃に聞いた時、とてもワクワクした記憶があります。純粋に「自然の力ってすごい!」と感じたあと、そのサイクルの中に自分はどう関わるべきなのかと考えさせられました。大人になった今でも随分と自分勝手な関わり方をしてしまっているように感じます。人に対しても自然に対しても、どこかに誰かにシワ寄せすることが無いよう、全体の中での自分であることを意識していきます。

  2. コメント

    みんなで分担して何かの共同作業をするときに、一人だけ勝手なことをする人がいると、全体の目的を達することはできません。その一人が、決して悪気はなく、単に目的を知らなかった場合でも同じです。問題は、自分の役割を知らないことではありません。全体の目的を知らないことと、自分もその一員であることを自覚していないことこそが問題です。では、一日本人として、日本の目的を知っているか?!一地球人としてはどうか?!これが自分の使命だと勝手なことをする前に、どこの一員として生きているのか?!ということを確信できるまで認識し直す必要があると感じます。

  3. コメント

    はじめて取り組むことは緊張して、余裕がなく自分のことばかりになってしまいがちですが、いろいろな場面で同じ体験をしたり相手がどんな人かを知っていると、いざという時に力を発揮しそれぞれがそれぞれの強みを活かす見えない力を働かしているのだと感じます。日ごろの同体験がこういった場面で活きる、繋がりの中の体験であることを意識し新しい取り組みは巻き込んでいきたいと思います。

  4. コメント

    今日は妻の実家で稲刈りをしました。明日も引き続き稲刈りですが、改めて命の巡りから、恵みを頂いているという実感を感じます。稲を作ることで、田畑には沢山の生態系が生まれ、収穫することで、その地の動物の餌ともなり、朝から夕方までの畑での作業は命の尊さを教えていただいています。この学びを生き方に変えて行きたいと思います。

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