人は誰かのために何かをさせていただけるという感謝の上に遣り甲斐と生き甲斐を感じるものです。この甲斐があるというのは、それだけの価値があるということを意味しているように思います。
そもそも人は関わりの中で生かし活きるものです。
人間というものは、その人と人との間を通して自分というものを認識し、そして自他の関係の中に人生の妙味を味わうものを得ていくのです。
喜怒哀楽も感動も感激も、そして愛も幸せもすべて人との間を通して実感していくものです。言い換えれば、つなかりや絆の中にその存在を実感して自分がそのものと一体になっているときにそれを体感できるようにも思います。
この世そのものが「楽園」であるのは、そういうものを生まれてきて実感できる場であるからです。
その楽園に来ていることを最も実感できる基本は、誰かのために相手のために常に自分を使い切っていくことのように思います。そしてそれをいつも歓びにしていくことのように思うのです。
人が幸せになるというのは、相手に歓んでもらおうとすることだからです。
相手に歓んでもらうことこそが生き甲斐になり、誰かに歓んでもらうことのために自分ができることを精一杯勤めていくことこそが遣り甲斐というのです。
人は自分のことをやっているだけでは、生き甲斐も遣り甲斐も感じることはありません。
どうやったら相手に歓んでもらえるか、どうやったら誰かに歓んでもらえるか、それをとても高い次元で実践していることが甲斐性があるということです。能力が高いからでもなく、余裕があるからでもなく、誰かの歓びのために生き切る人だからこその甲斐性なのだろうと思います。
仕事とは働くとは、その歓びの次元をいつも自分に内包しておくことだと思います。この一つ一つのことが、誰かのお役に立っている、そして相手に役に立てたことが甲斐になるのです。
だからこそ、もっと喜ばせたい、歓んでもらいたい、幸せにしたいと祈るように願うように一つ一つの仕事に歓びの心を籠めることこそが生き甲斐、遣り甲斐だといつも実感していることが仕事の本質なのです。
仕事とは、人に仕えるとありますが仕えるというのは神仏に仕えるという意味です。自分も相手も喜んで歓びあうことを善しとして日々の生活を遣い切っていくことが甲斐性を育てることかもしれません。
いつも歓びの次元を忘れないよう、自分をより多くの歓びに仕えるよう精進していきたいと思います。
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先日、6歳になった我が子に「来月はお母さんの誕生日だよ」と話をしたところ、何やら妻に内緒で自分でプレゼントを作って渡そうと計画しはじめたようです。
「お母さんが歓んでいる顔を思い浮かべながら作ると、きっと素敵なプレゼントになるよ」と一言だけアドバイスして、あとは子どもの主体性に任せて見守ることにしてみました。
相手の歓ぶ顔を思い浮かべながら、相手に歓んでもらうことをする。プレゼント作りも、営業も製造業もどんな仕事も、そこが出発点であり、本質はみな同じなのだと思います。
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自分の生命と天分が、誰かのお役に立ち喜んでもらえることは本当に嬉しいことです。しかし、それが遣り甲斐や真の幸福感につながるには、感謝に裏打ちされた愛に支えられ、思いやりや真心、誠意が伴っていなければなりません。油断するとすぐ「自我」が入り込んできます。「どうすればもっとお役に立たせていただけるか」自分の生命をそこに集中し生かし切ることが必要だと感じています。
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一日に一回あるかどうか、月にするとどれくらい心を籠めた仕事が出来ているだろうかと思うと、ちょっとしたことで作業改善ばかりに目が行く自分がいることに気が付きます。本当は何なのかと立ち戻ること、相手に歓んでもらおうと動けていること、自分の心がどこを向いて仕事をしているのか意識し、自分のこと以上に相手に遣いたいと思います。
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ファシリテーターの心構えとしてではなく、カグヤクルーとしての心構えとして、しっかり受け止めます。自分都合の遣り甲斐を求め苦しむことをやめ、原点を頂いたこの体、個性で世の中に喜んでもらい、役に立つ事として、人生を楽しんで行きたいと思います。