遣る事と在る事ということで話をすることがあります。
人はつい何かを遣ることにばかりに捉われてしまうと、どう在るかということを忘れてしまうものです。これは目的と手段を間違えることと同じで、本来は何のために行っているのかという目的よりもどのようにやるのかという手段ばかりを考えてしまうということです。
本来、人は目的があるから遣ることがあるのです。
目的がなくてもさせられるのは何かをしようと思う前に誰かに教え込まれたり、答えはすでに用意されていてその答えのために問題を解くことに似ています。
それは手段の方が目的よりも勝っているということであり、その手段を考えているうちに本末転倒になってしまい本来の目的を見失ってしまうことで事は成就しなくなるのです。
私が取り組んでいる自然農や漬物、その他の実践は、理念という根元から養分を持ってきています。なので続きます。しかし日ごろ接しない人からは私が一過性で勢いで突然遣っていると勘違いするようで、よくまあ続きますねとか、バイタリティがありますねとか個性のように言われますが本来はその行おうとする手段は思いつきであったとしても目的がブレナイから続くし諦めないように思います。
何かを行う時は、必ずその目的は何かを思います。
そしてその目的を達することだけを念頭に置いて、そのついでに遣ることを真摯に取り組んでいくという順番です。言い換えれば、信じる事の方が何よりも大事でそのついでに遣ればいいという考え方なのです。
そうしていると、遣り切ることが信じることになり、信じることは目的を忘れないでいつまでも初心を維持しているということになるのです。
初心というものは、それを忘れてしまうから忙しくなり、元気がなくなり、楽しくなくなり、中途半端になり、迷いが出て、周りに矢印が向くようになり、一時の感情に流されて判断を過ち、後悔してしまうのです。
常に目的が何か、そしてそれを達する手段は何か、それを誰とするのか、それを語リ合おう、助け合おうという手順でいつもいることができれば、人は共生し事物全体と一体なって調和し心願成就していくことでしょう。
しかしこれは簡単に教えることも教わることでもありません。
いつも自問自答、心の声をつぶさに聴いて、その自分の中の本心や本音の声から向き合っていく必要があるものです。簡単にインターネットで検索できるものもでなければ、書籍で読むものでもなく、誰かに教えてもらうこともできません。
それを本当に遣りたいのか、その目的は何かと動機の時の心に問い続けないといけません。
大切なことを理念として初心を忘れないでいることが本懐を遂げることになるのでしょう。
一度しかない人生をやり遂げさせてあげたいのは、見守ろうとする偉大な真心です。
ひとつひとつお仕事とお役目を丁寧に進めていきたいと思います。
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大学受験を控えた私に父が教えてくれたのが、この「目的と手段」という言葉でした。今の時代も明確な目的がないまま受験勉強を続けている子どもが多いと思いますが、それでは勉強自体が辛く、合格というゴールに辿り着いた時点で自分を見失ってしまうのではないかと思います。最終的な目的を教えることは出来ない、でも先後の大切さ、自分で考ることの大切さなら教えることが出来る。学校が、家庭が、人生の先輩である大人たちが、本当に子どものためを思うなら、自然とそれを教えるはずだと私は思います。
子どもにとっては人生と向き合わなくてはならなくなるため、耳の痛い話になるかもしれません。そしてそのために子どもとの関係が悪くなってしまうかもしれません。ですが、
「こんな事を言ったら自分から離れてしまうのではないか?嫌われてしまうのではないか?」
そう考えるなら、これは大人が自分の事しか考えていない何よりの証拠と言えるでしょう。
本当に愛情があるなら真剣にぶつかっていかなくてはならない。そして子どもが決めた道を信じて見守ってあげなければならない。教育もまた、子どもが主体的に生きて幸せを叶えていくための手段だと私は思います。子どものために信念をもって遣り遂げるのみです。
このブログ自体から野見山社長の日々の実践を感じ「目的がブレナイから続くし諦めない」というお言葉が生き生きと私の胸に響いてくるように感じました。
今日も自分自身の初心を再確認させていただきました。ありがとうございます。
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「目的」を見失うのは、自分にとっての「意味」を失うことです。結局、それは、自分の人生の目的や根本理念につながっていないということでしょう。問題は、その「始め方」ではないかと思います。「理念から」入るべきところを、つい「仕事から」入ってしまうことがよくあります。最初から「ブレ」ていないか?!その動機が「ズレ」ていないか?!安易な始め方を戒めたいと思います。
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昨日の気づきを意識してお話をさせて頂いているとき結果的に感謝され、意識が薄らいでくると遣ることに引っ張られています。手段になっているとあとで失敗したと心を準備できていなかったのだと気づかされます。意識が定着するまで文字にして目に見えるところに置き確認し目的に向かい社業に臨みたいと思います。
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よく自分が何かを不安に思っている時、この「手段と目的」を
考えるようにしています。不安になるのは目的が見えずに目の前の事に取り組んでいることが多く、繋がりから飛び出してしまっていることが多くありました。目的が分かれば手段はどんなものでもよいのだという安心感や、目的に向かって積み上げて行けばよいのだという安心感があり、実践したことが積み重なっているという実感を感じられることは子どもにとっても大人にとっても大切なことであると感じます。日々のブログもそもそもの目的からいつも考えて行きたいと思います。