以思伝思

人は自分の意見を持つということが大切です。自分の意見を持つというのは、自分で考えているということです。

例えば、何かの本を読んだとしてもそれを読んでいるだけでは身についているわけではなくそこに何かしらの自分の意見がありそれを誰かに伝えることではじめてものになっていくからです。

他にも人の話を聞いて教えてもらったからと、そのまま鵜呑みしているのではそれは本当の意味で自分の知識になるわけではありません。それを自分なりに調べてみて、探求して試してみて、そこから考えたことを伝えてはじめて自分の身についていくのです。

よく最近は、本心や本音を語らない人が多いと相談されていますがそうではなく伝えることができない人が増えたということではないかと私は思うのです。

この伝えるということはとても大切なことです。自分をもっていなければ伝えることができませんし、自分の思いが真摯でなければ伝えることはできません。

伝えるというのは、人が云うと書いています。これは単に話すことを言うのではなく、云う人になるという意味でもあろうと思います。自分の意見を持ち、それを已むに已まれず伝えたいという「思い」があるということです。

この「思い」があるから伝えたいとなる。

だから人が思いを伝えるというのは、自分の思いを醸成しているということです。つまりはその思いを育てていき、その思いを大切に練り上げ、その思いを自分と一体にしているということなのです。

人は思いがありそうで、思いを発信していくことを怠るものです。特に自分の大切な動機や起点、その他の背景のことなどは敢えて言わないで要求だけを話しているものです。しかしそれでは伝えているわけではないのだから御互いが本心から語り合うことはないのです。

本心から語るというのは、思いを伝え合うことです。それを隠して、それを言わずに話をしようとしても何も話すことはないのです。話し合いというものや合議するというのは、それぞれの思いを重ね合って一つのものを為していくことに似ています。

人が何かを為すには、様々な人たちの思いを受け取ってそれをやり遂げていく勇気と意志と感謝がいるからです。本来、根っこがつながっていなければいくら枝葉末節を形式上合せてみたって中身が折り重なるものではありません。

常に私たちは根をつなぎ、思いを醸成し、それを伝え合うことで社會を産み出しているからです。子ども達に思いを伝えていくことは、私たち大人がこの世で存在する大切な使命です。

人は伝えることができてはじめて学んだことになり、そして人に為るのです。

何よりも間人の中で人が育つことで大切なこと、それは伝える思いを持てるということです。

人生の体験を思う時、伝えようとする思いこそが何よりも尊いと私はいつも思います。だからこまず思いが先で、伝えることまで必ず遣り切ることが大切なのです。

どんなことでもいい、その人の本心というその自分の「思い」を世の中に伝えていけるような自分らしい生き方をこれからも精進していきたいと思います。

 

  1. コメント

    「知っていること」も「考えていること」もたくさんあります。しかし、「伝えたいもの」があるかと問われると少し怪しくなります。それは、「伝えたい」と思うところまで責任を持って深く考えが練れていないからであり、「自分の本音・本心」になるまで深く探究できていないからでしょう。どこか他人事で、本音・本心が語り合えない対話は、何も生み出しません。当事者意識できちんと準備し、自分の意見を持ってその場に臨んでいるか?!当事者としての根本姿勢を見直す必要がありそうです。

  2. コメント

    私は営業の仕事をしていた頃に学んだことがあります。それは「商品は思いを伝えるための手段に過ぎない」ということです。仕事を始めた当初は、いかにこの商品が良いかを説明することでお客様に購入していただこうとしていましたが、すぐにそれが間違いであることに気付きました。商品の良さの説明ではお客様の心を動かすことはできず、仮に売れたとしてもそれは一時的な興味からの購入であり、本当の意味で商品を愛用し継続していただくことには繋がらなかったからです。それではお客様に満足は無く、売り手の満足のみになってしまうと反省しました。本当に大切なのは「この商品を通して自分はお客様に何を伝えたいのか?」ということ。誰にも代わることの出来ない私自身のお客様への思いを伝え、その思いと一緒に商品を購入していただくからこそ、末永くその商品を愛用し、満足していただけるのだと気付きました。
     
    今回の学びを伝えるということも、これと同じなのかもしれません。人や本から得ただけの知識を単に相手に伝えても、それは商品の良さを伝えるのと同じで、たとえ一時的に感心されることはあっても、相手の魂にまで火を付けるような力強さは生まれないのでしょう。自身の体験を通して蓄えられた「愛情・情熱・使命感」というようなものを一緒に伝えるからこそ初めて、教えられた相手は自ら立ち、自ら探究を始めるようになるのだと私は思います。教えることも伝えることも難しい、でもだからこそ遣り甲斐も大きい。まだまだ行が言に追い付いていないことを恥じるばかりですが、一歩一歩、自分の道を楽しんで歩んでいこうと思います。

  3. コメント

    人の話を聴き本を読みそれを自分の意見のようにしていると次第に考えられない自分に陥るのだと感じています。これは自分の意見、本当にやろうと思っていたこと?といつの間にか人の意見を自分の意見とすり替え、考えず人に仕えることを善しとしているところがありました。自分で考えることは大変なことですが、意見を持ち発言できるところまで考えを昇華させていきたいと思います。

  4. コメント

    はしらのきず休暇を無事過ごすことが出来ました。有難うございます。一日をどう過ごすのかも、そもそも今日は一体何のためにあるのか、心は何を捧げたいのか。どんなゴールを描いているのか。改めて日々が主戦場であり実践であると感じます。その元が無ければ、必ず誰かの意見や何かに動かされるのだと学びました。また、元から動けば元がある人の行動にも気付けるのだと感じます。ミマモリングを自分自身が実践する為には、改めて価値観や知識を持っていることが重要ではなく、日々の行動を元とつながったまま実践していることであり、
    それが、「思いを持っている」という人の姿なのだと感じます。
    日々脚下の実践を大切にしていきたいと思います。

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