人は信じることを教えてくれた機会を忘れないように思います。
大切なことを忘れないでいたいとは誰しも思っているものです。しかし時間が経つにつれ日々の喧騒に流されるにつれ、大切なことを忘れてしまいそうになっていきます。
しかしそういう時に忘れたくないと思っている同士のご縁が引き合い、その共通体験を通して互いに大切にしたい初心を思い出すことができるのです。そうして体験した絆ができれば、それを互いに一生持ち合って信じてその後の人生の歩んでいくことができるように思います。
人と人が出会うことの素晴らしさというものは、このご縁の尊さによるものです。
私もかつて恩師に様々なことを学びました。
そしてそれは恩師との人生の邂逅であったようにも思えるのです。お互いにそれを学びたかった、そしてそれを求めていたということかもしれませんが一緒に掴んだ絆は綻びることなく存在し続けているように思うのです。
この年齢になって、恩師との邂逅をいただくと改めて何を指導してくださっていたのか、そしてなぜこのように人生に影響を与えていたのかを自覚しました。24年間、ずっと先生ならこんなときどうするか、先生ならどうしたかということをイメージして歩んできました。
それがここで繫がり、また伝えていただくことで思いが確かになり信が強くなるのです。私はこれまで基本を学んでいたのかもしれません、ようやく中身を味わうことができるようになってきたのかもしれません。こうやって学びを繰り返せることに心から感謝します。
最後に、その恩師からの教えの一つです。
「プレーをつくるのではない、人をつくるのだ」
恩師のこの言葉を心に刻み、もう一度学び直しを決心しこの先のご縁の歩みをさらに楽しんでいきたいと思います。
コメント
私自身も恩師に出逢えたこと、掛けて頂いた一言も互いに引き寄せあったのだとはじめて感じるものがあります。先生への好意、眼差しは一方向的に感じていましたが、相手はどのように感じていたのだろうと思うところがあります。卒業後も今なおお逢いする機会があることは本当に恵まれていることなのだと改めて感じます。まだまだ教えて頂いていることばかりですが、そこでの意味を考え精進していきたいと思います。
コメント
ご縁の意味が、何年も後になってわかることがよくあります。そのときは、それがわからず、失礼な態度であったことを反省するとともに、そんな自分にもきちんと接してくださったことを、ほんとうに有難く思います。特に、仕事を教えてくださった先輩方の「そこまでしてくださった姿勢」は、その教えとともにちゃんと私のなかに生き続けています。時を経て、経験のなかでその教えを思い出して再会し、もう一度つながることができたことを、嬉しく思います。
コメント
中学時代の恩師との絆が今でも続いているということに、何かとても清らかなものを感じさせていただきました。私も省みれば中学時代の部活の顧問の先生から、技術だけでなく人格教育のようなものを授けていただいていたように思います。当時の私の求める力が弱かったため残念ながら今はそれを詳細に思い出すことが出来ませんが、先生からいただいた教えは私の心の奥底にしっかりと残り、いつも自分を律してくださっているのだということを忘れないようにしたいと思います。
コメント
中学校の恩師からの言葉が忘れられません。一年の3学期が終わる直前、「お前は三年間俺が受け持つ」と言われ、まさか、そんなと思いましたが、実際に3年間、ご指導いただき、卒業の際には「克己心」と「恕」の言葉を戴き、社会人になってからは結婚式にも来て見守ってくださいました。手のかかる生徒だったのかもしれませんが、猶更頂いた言葉に今まで何度も道を照らして頂きました。まだまだ、頂いた言葉の基本を味わっている段階のように感じます。頂いた言葉、ご縁の不思議と必然をしっかりと味わえる自分自身になり、そして恩返しがしていきたいです。まずは自分を修養していきたいと思います。