人は誰しもがそれぞれの速度で自分の道を歩んでいきますが、その中で色々な人たちに出会っていきそれぞれに尊いご縁を結んでいきます。
その尊いご縁の集積の上に、今の自分があり、どのような人たちと出会ったか、どのような人たちに支えられてここまで来たかを時折実感できるのが同志との邂逅だと思います。
先に往く者も後から来るものも皆、それぞれの道の中で自分なりの体験をし、自分なりに正しいこと、素晴らしいこと、学んだことを伝承していくのです。
時代というのは、それぞれに自分の役割があるように思います。
そこには、その時代その時代を生きた人たちの生きざまとして生き方が譲られていくからです。子どもたちがこの後、どうしたいのだろうと思う時、自分の道を歩んだことそのものが必ず何かの役に立つと信じられるのです。
今までもずっとご縁に結ばれてここまで来た自分、そしてこれから往く自分を思う時、子どもたちが同じように自分の人生を生きることを自覚するのです。そうしてみると、自分がどれだけ自分の人生を遣り切ったかは、子どもたちの模範になるように思います。
自分の純粋な魂や信念を遣り切ることは大変ですが、その魂も信念も自分が守ってあげなければ誰かが守ろうともしません。しかし、それを守りたいと思う仲間が必ずご縁の中に存在しているのです。
大切なものは、仲間たちがずっと大切に心に持ってそれを他の仲間たちへと受け継いでいきます。宝というものは、この仲間たちが受け継いできた「信」であり、「義」であり、そして「魂」のことであろうと思います。
一人ではないと実感するとき、そこに脈々と連綿と続いて守られてきた魂の証を実感するから不思議です。自分の生き方の中に、その生き方を通じた宝が必ずあるという真実。それがご縁を楽しむ醍醐味かもしれません。
出会いを通じて、様々な宝があることに気づいてそれを次の方へと譲り渡していきたいと思います。日々を大切に、魂を御守り、自分の中に光り輝くその宝を守り続けていこうと思います。
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「現在の自分」を遡ると、ほんとうに多くのご縁のお蔭で「今がある」ということを実感します。中には、既に亡くなられた方も多く、「縦糸のご縁」の有難さを感じます。また、不思議な出逢いとしか言いようのない「横糸のご縁」もたくさんあります。実は、明日、最初に勤めた会社の同期会があります。社会人のご縁はここから始まりました。約30年ぶりですが、思い出さないといけない原点のご縁がいっぱいありそうで楽しみです。同じ時に歩み始めた仲間たちとの間にどのような宝を持っていたのか、心の中で再会を乾杯しながら確かめてきたいと思います。
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私の魂の中枢にあるのが「人を護る」という心であり、その魂を高めてくれる一番大きな相手が妻子であると考えています。だから私は一家の主として、出来るかぎり妻と子の心の変化に気付いてあげられる距離にいてあげたいと考えています。今の学校は特に陰湿な嫌がらせなどが多いように感じますが、全力で我が子を護れない父親が千人万人の子どもたちを助けたとしても、それは私の「信」でも「義」でもありません。現実の目の前にいる我が子を護ることで高めた魂をもって千人万人を助けるのが私の信じる正義です。そのために自分を遣い切るのが私の望む生き方であり、修身斉家治国を正しく踏み行いたいと思っています。
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初心を聴かせて頂き、何とかしなければ何で聞いたのかそれだけ大切なことを聴かして頂いている自覚がどこまであっただろうかと実感しています。自分自身が守ろうとするところはまさにそこであり、ご縁の中で気づかせて頂く有難さと自分自身への不甲斐なさを感じています。大切なものを本当に大切に扱える本物を目指していきたいと思います。
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どのようにして、魂を守るのかと考え、今味わっているのは、タイミングです。思いばかり強くても、行動ばかり強くても、タイミングは見逃してしまうと感じています。思った分だけ行動し、行動した分だけ内省する。このシンプルさが難しく、そして楽しく、悔しく。。アンバランスな生き方をやめ、タイミングに合わせる生き方に全力を向けて行きたいと思います。