日本という国が昔、どのようであったのかそれを神話から紐解いていくことができます。
神話というものは、その神話の是非を問わずその神話に託された風土の持つ意味を感得することに重要性があるように私は思います。古事記とは日本書紀とか、はたまた伝承に多少の違いがあったにせよ、その物語の本質、つまりは何を伝承しているのかを実感するのはそれを受け賜っている自分の中の心で味わうものであろうと思うのです。
神話には沢山の智慧があり、回訓があり、そして心があります。
その一つ一つが、今を生きている自分たちに何を語りかけているのかを味わってはじめて自分たちの由来を知覚できるのでしょう。
その一つにヤマトタケルがあります。
物語そのものは、その大和武尊命の一生をそれを見守った方々と出来事の織笠ねによって伝承されているものですがその中にも多くのことが籠められています。
例えば、愛とは何か、義とは何か、勇気とは何か、智慧とは何か、思いやりとは何か、和とは何か、故郷とは何か、家とは何か、抜き出しただけでもこれだけあるのですから、その奥に秘められた語り継ぎたいことは言葉に書ききれないほどあるのです。
こういうものを私たちは自らの和魂の中に見出していくことが神話の本質であろうとも思います。
意味が分からなくても伝承されていくのが私たちの中の神話なのです。そもそも伝承というものは、頭で理解するものではないというものです。それを実感し、それを伝えようとする心と承ろうとする心が通い合い連綿と古代から今にまで引き継がれてきているのです。
一つ一つの話には、一つ一つの心が入っているのです。子ども心に神話を聴けば、その神話の素晴らしさが沁み渡ってくるから不思議です。
またその中に美しい詩があります。心を奏でて言霊になり今の時代にまで響き合ってくるものがあります。その二つの織りあいを合わせてみます。一つは、ヤマトタケルノミコト、もう一つはオトタチバナヒメの詩です。
「大和は国のまほろばたたなづく 青垣山こもれる大和しうるわし」
「さねさし相模の小野に燃ゆる火の 火中に立ちて問ひし君はも」
どのような理想を二人が描いていたか、そしてどのように生きたか、それを実感できるのです。もう一度、理想の国とは何か、その民の目指した美しい生き方を神話に学び見直していきたいと思います。
子どもたちに正しく語り継げるようになりたいと願います。
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「五穀」の起源も農耕や料理の起源も「神話」にあります。今では形式だけになりつつある「いただきます」と「ごちそうさま」ですが、「一拝一拍手の後に天照大御神、豊受大御神の恵みへの感謝の和歌を詠み、続けて「いただきます」「ごちそうさま」と唱えるのが本来の作法のようです。数は違いますが、基本的には神社参拝の作法とかたちは同じで、料理そのものが神であるとされています。食前感謝と食後感謝は、人として生きる上で、神、自然、食材、料理人などに感謝する美しい日本人の作法です。こういうことを正しく継承できるようになりたいと思います。
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日本人でありながら自国の神話について知らない部分が多いと実感しています。特に物語としての表面上の内容を理解するためではなく、そこに籠められている「本質」を掴むために深く深く学び直していきたいと思います。
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海外の神話と内容が似ているものがあると聞きます。日本神話もまだ読み始めたばかりですが、相違点や共通点を観ていくことは保育を観ることに似ているように感じます。本質を掴めるよう実践し、言わんとすることは何か深め取り組んでいきたいと思います。
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神話に実際に触れてみると、そもそもの日本人らしさ、神々しさ、など、言い表せない存在を感じます。自然と天然の違いのような、その感覚をまだ理解も掴みもしていませんが、感じています。清らかさ、しなやかさ、そういった感性を大切にしたいと思います。