昨日、ある面談の中で懐かしい体験をしました。
人は、何がキッカケになるか分かりませんが自分の心に向き合って心を入れ帰るという体験をして変わるものです。人生の醍醐味というものは、新訳聖書の「求めよ、さらば与えられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん」ではないですがその人が望んだ高さや求めた強さに応じてその人に価値のある機会やご縁が結ばれるように思います。
機会やご縁を活かすのはその人次第ということですが、どんな出会いがその人を変えていくのかを思えば人は自分の狭い視野で計るのではなく、その人自身が素晴らしいご縁に恵まれていることに感謝して成長を祈る方が真実のようにも思います。
自分だけの影響力などちっぽけなものですが、何が繋がって何と結ばれているのかは天のみぞ知るのだから見守ることの大切さを改めて実感することができました。
人が変わるというのはどういう時に変わるのかをもう一度考えてみると、それは心を見つめることのように思います。
自分の心がどうなっているのか、自分の姿勢がどうであったのか、それに向き合った時、自分の心を深く正面から受け容れようとするものです。そしてその心がこれは違うと思ったならば、思い切って心を入れかえることで人は真に変化していくように思います。
自分の心を見つめるということは自分の心と対話していかなければなりません。自分はどんな生き方をしたいのか、自分が何を信じて生きていきたいのか、自分がいのちを懸けたいのは何かと、自分の心に素直になって自分の今の心がそれに対してどうなのかを正対していくように思います。
そうやって心を見つめて、心を入れかえることができるなら人は自然に変わるように思います。今までのことを反省して、日々に定めた心の場所で内省する。
こういうことを積み上げていく中で人は変わるように思います。
自分の心を見つめることというのは、向き合いたくないものもあるでしょうから実際は大変なことであろうと思います。しかしその先に、新しい自分が待っていると思うならその先の未来を信じて取り組んでいくことに価値があるように思います。
思い込んでいた自分から、新しい自分へというのが変化というものです。
自分の観えている世界も変わるし、周りからの世界も変わる、新しい世界が待っているのです。人は変わりつづけることで自他の世界を変えていくことができるのですから、不思議さというものもまたその中にあるのです。
心を入れかえる人は、頼もしくそして美しく感じます。
子どもたちにもそういう体験をたくさん用意できるような大人のモデルになりたいと思います。
コメント
現場の求めるものと自分が求めようとした物の違いにまだまだ分かっていないことに気づき、本質をつかむ難しさを感じています。問題解決のためにはきっと筋道はこう辿るといいと思っても、そもそも求めてるもの入り口とは違うところから入り、最短ルートや正解を求めたように思います。それ以上に今必要なことがある、学ぶことがあるのだと準備した気になっていましたがまだまだ至らない点ばかりでした。思い浮かぶアイデアがどう転ぶか分かりませんが、納得するところまで調べていきたいと思います。
コメント
「人が変化するところ」を何度も見てきましたが、「変わるときは、意外とあっさり変わる」という印象があります。実際は、内省が一定以上積み重なると、ある出来事をきっかけに化学変化が起きるように変わるのかもしれません。人には、それぞれ「悟りの階梯」のようなものがあり、それぞれの方法とスピードで成長していきます。また、「小悟無限」と言われるように、何度も何度も変化を積み重ねていきます。少しでも人が変わる姿は成長感があり嬉しいものです。「心が入れ替わる」瞬間に啐啄を合わせられるように、見守っていきたいものです。
コメント
これまでの内省は知らずのうちに「過去からの現在」に囚われていたように思います。もっと「未来に繋がるための現在」や「理想に対する現状」という観点で、どこに向かい何を求めているのかを見つめ直し、大切な軸からずれないように日々姿勢を整えていかなければならないと感じています。変わることの出来る環境をいただけていることに感謝したいと思います。
コメント
成し遂げたいものを実現する為に必要な自分自身とは!?と考えると、なるべき自分が見えてきますが、今まではここで ならなければならない。
とさせられる言葉が入ってきました。
ここをさせていただく機会と感謝で捉えられるかは、日々の自分自身の生き様、土壌の問題であると感じます。土台、基礎作りも、日々踏み固めた土壌に助けられていることを自覚し、日々を大切にして行きたいと思います。