寄り添う

相手に寄り添うには、相手を理解しないとできません。

相手のことをまず理解して、どうしたいのか、何をしたいのかを自分が把握してそこに一緒に向き合っていく中ではじめて寄り添うことができるように思います。

そして理念に寄り添うや、目的に寄り添う、その人の自己実現に寄り添うこともそうですがまずはその本質から考えなければなりません。

つまりはその意味は何か、その価値は何か、共に真摯に学びを已めずに共に前進し続けるのです。前進とは単に前に進むだけが前進ではなく、信じていくということです。

今はまだ分からなくても必ず分かるようになると信じる事や、どうすればいいのかを共に学び共に実感していくのにも似ているように思います。

言い換えれば、必ず善くなると信じ続けるということです。

相手を見るというのは、相手の何を見るかということです。相手の信じたものを時折相手が見失いそうになったりするものです。そういう時にも、観ていてあげることや見守ってあげることで相手は大切なものに近づいていくことができるように思います。

理念の大切さというものは、まるで海上にある灯台のようなものです。そこを常に観続けるからこそ少し気候が荒れても霧で見失っても、そこに辿りつけると信じて寄り添う存在を実感し、本能を発揮して到達していくことができるように私は思います。

人は寄り添っている偉大な存在を実感するとき、確固とした自信を持てるように思います。また寄り添っているものを実感しないときは、不安になり焦り、学べなくなるようにも思います。

学び続けることが人生なのだから、学び続けるための環境に寄り添いというものはとても尊い実践であろうと私には思うのです。自分に寄り添っているものは何かを自分の中に抱けることが自立の鍵になるのでしょう。

大自然、大宇宙、人間愛から万物のいのちに至るまで、すべてのつながりの中で寄り添ってくださっているはずです。もう一度、人が自らの生き方を学び始めるキッカケづくりについて考え直していこうと思います。

  1. コメント

    目に見える部分で理解しようとしたり、見ようと思うものしか見れていなかったり、人に対しても出来事に対しても上辺だけでわかろうとしている自分がいます。今、この環境の中で、この仲間と共に学ぶことが出来るということが、一体どれだけ有難いことなのか。大切なことを忘れないよう、日々感謝の気持ちをもって成長していきたいと思います。

  2. コメント

    「寄り添う」関係の理想は、「親子の見守り」や「同行二人の見守り」にあるのではないでしょうか。そこには、理由のいらない「深い縁」や「強い絆」と、「影と形」のように片時も離れることのない絶対的な愛に対する安心感があります。これらの関係の本質は、その見守りの存在に甘え頼るのではなく、その存在に対する感謝と安心感の中で、自らを戒めたり励ますことができるということではないでしょうか。自分が寄り添える存在になるには、寄り添っていただいている存在を心から愛せるようになることが必要だと感じます。

  3. コメント

    周りの方の見守りに気づかず、どれだけ気を掛けて頂いているのだろうかと振り返ると感じています。通り過ぎている自分自身の意識や仲間への心配りを大切にしたいと思います。

  4. コメント

    人の長所を友にすると同じく、人の何を見守るのか。まだまだ、実践と実感が足りませんが、深めて行きたいと思います。

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