問題直視力

今のような情報化社会の中で、最も重要な生きる力に問題を解く力があるように思います。これは学校でやっているような、問題を解く力のことを言うのではありません。言い換えれば、問題が何かを発掘して意味づけしていく力のことです。

本当の問題とは何かと考えてみると、それは答案の中にあるものではありません。それに問題があったから問題を単に解けばいいというものでもないのです。それは問題というものの奥にこそ真の問題があり、その真の問題を解き明かすなかでそこから見出したもの、そのメッセージともいえるものを自分なりの意味と答えをつけていくことが大事なことのように思います。

例えば、歴史というものを考えてみます。歴史といっても、自分の人生の歴史をはじめその人がどのような過去から今までを過ごしてきたかは年号で表現できるものです。しかしそれがどんな意味があり、何のメッセージをいただいたかというのはその人が答えを出していくものです。

また他にもご縁というものがあります。これも、なぜこの人と出会ったのか、このご縁は一体何とつながっているのか、何を意味するのか、それはその人がずっと点を線にし、面にしていく中でつながりの中にあるものを深く見つめて答えを出していくものです。

このように出来事が起きることに意味があるのではなく、その出来事に意味があるとどのように感じるか。そこには理念があれば、出来事は理念に添って起きるのだから流されずにこれは一体何なのかと常に答えを導きだすのは自分の主体性であるのです。

流されるというのは、一体何なのかを感じなくなり点は点にしか見えず、線にもできず、日々に一喜一憂しているようなものです。それでは、せっかくの貴重な体験をもったいないことにしているようにも思います。

日々というのは、一期一会であるのはそこに確かな意味が存在しているからです。その確かな意味を紡ぎながら一反のかけがえのない貴重な織物を仕上げていくのが人生だとしたとしたらそこで何よりも重要なのは問題を直視しそれを解く力なのです。

問題を発掘する力、問題を発見する力、問題というものを解明していく力、つまりはこの力は真の問題を直視しそこに毎回テーマを抱き、今、ここを意味付けすることを忘れるなということでしょう。初心を大切にしていくには日々の意味づけを丁寧に実践していくことが何よりのように思います。

自分にしかない問題を、理念を主軸に仲間と一緒に解き明かしていく有難い日々にはその問題を直視する歓びにも恵まれた日々のことです。

そこに人生の面白さ、醍醐味もまたあるように思います。ひとつひとつのことを感情に流されず、これは一体何なのかと自問自答を楽しんでいきたいと思います。

  1. コメント

    すべての出来事は、偶然ではなく「必然」であり、つながりのなかにあると考えると、そこには「意味」があることになります。しかし、その意味をどのように理解し、どれだけ受け取れるかということのすべてが自分に委ねられています。「何に気づくか?!」自分次第で毎日の価値がまったく違ったものになることをよく自覚しておく必要があります。「いったい今何が起きているか?!」現実を深く見つめ耳を澄ませて、素直に意味づけできるようになりたいものです。

  2. コメント

    目標を掲げるとこれまで気づかなかった点に目が向き、実践していくことで直視になると思うと、これまでは気づくだけで流されていました。ここ自体が私自身の課題であり気づいた以上、問題を解いていかなければなりません。自分自身に向き合う解答は分からないことだらけですが、今よりも少しでも成長する方を選択していきたいと思います。

  3. コメント

    今回のブログの内容から、問題は決して悪いものではないのだと感じました。心乱されずに真の問題を発掘していくことは達観した姿勢のように思えます。まずは目先の問題を良く見つめ本当に取り組まなければならない問題は何かと問うことから始めたいと思います。

  4. コメント

    今の自分を見ると、二週間近く眼球の傷が治らずにいるのは何の意味か、長崎の先生がなぜ、朝一で電話を頂けたのか、その他日々の出来事を見ると、何を見たくない、見ていないのだろうと考える機会と昨日はなりました。そして、私はタイミングを見ていないのだろう、だから急がさしさの中でもそうなると決まっていたかの様に仕事が自然に仕上がって行かないのだと気付きました。まだまだ、振り返ると先送りや、その場で行わなかったことがあります。それが、アヤをほどいているのだと、昨日実感しました。一瞬一瞬に意味を問い、タイミングの手綱の感触を理解して行きたいと思います。

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