その人の持つ心技体が一つの仕事として顕われているものがある。何か大切な理念や信念、その人が経験して自ら掴んだ原理原則やコツのようなものは、頭で考えて理解したからと得れるものではない。
そういう暗黙知は、その人のことを真に丸ごと理解していくプロセスの中で心が次第に感受するものであると私は思う。
もちろん、共に生活をし、共に同じ体験をし、共に歩めば、次第にその人の全体像が自分に入ってくる。言い換えれば、その人がどのような人なのかという目に見えるところから見えないところまでをすべて感じることでその人のやろうとしていることややっていることを深く感受できるものだと私は思う。
偉大な人物や、自分よりも役割を沢山持っている人のことを理解する際、人は自分の尺度で自分の解釈と物差しで判断したりしようとする。しかし、人は心が持っている広さ深さというのはいくら頭で考えてもわかることはない。
私も師の話や、何か大きな使命をお持ちの方に触れるときは必ず「きっと自分にも分らない何かがあるのだろう」という相手への畏敬の念でまずは丸ごと信頼して接するようにしている。仕事を共にする中でも、まずは仰ることが理屈でわからなくても信頼してまずはやろうとする、そしてそれをともにするプロセスの中でその人の偉大な問題意識や思想を理解し感動しながら心でコツをつかんで次第にその人のように自分を大きなものにあわせていけるようになる。
これは、そうしているときが心でまず感じようとするための方法だからでもある。
他人を理解するとき、関わりが浅く表面上でいいのであれば頭を使えばいい。しかし深く厚くその人物を感受するときは、必ず心からでなければできはしない。
私はよく、何かを検索したりするのにぴったりとあうのでなぜかと身近な人に方法を教えてほしいとあるけれど、これも心の働きを使い自然に体を動かすように日頃から心を遣って生きていると次第にそういうこともコツを身についていくもの。
つまりは、なんでも心で接し、心から学び、心から感じることが、本質的で自分がその人と一緒に行動する中で心を通じ合わせて感心・感動することになるのだ
まず自分から感心をし、感動をし、感謝をできるように、その人の心に配慮し、信頼をしていく感受性を大切にすることであると思う。
子ども達には、お互いを理解することは一緒に何かをやるなかで心で感じることを大切にするようにと示していきたい。今はすぐに理解できる五感、目や耳だけで何かをすべてやろうとするけれど、本当は六感の心の力を育てていけるような環境を見守っていきたいと思う。
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深いかかわりをしている友人や家内とのかかわりを思い出すと、どのように会話しているかといえば、「心」で会話しているなと気づきます。表層で言葉を取り交わすのではなく、心を通わせるために心を使って心を触れ合わせる、そういった付き合い方をいつもどなたとでも大切にできる自分自身で居たいと思います。
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何か教えを頂いている時にすぐに頭で理解しようとしてしまう癖があることを振り返ると思います。自分に分からないことを伝えようとして頂いているからなのであり全部をまず信じて委ねることが大事ではと感じます。理解しようとすることを止めて心から感じる方を大事にして、やり方を正すのではなく生き方の学びとすることが出来る様に改める必要があることを実感します。
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学びにも読む、書く、聞くといった人間の五感を使って学びを深めています。
スポーツでも自分よりハイレベルなプレイを見て、実際に身体で感じて、まねて実践することで
得れるものが生まれてきます。
スポーツの心技体とは心と頭と体だと思いますが、どれかが偏ってしまってもレベルが上がらない
と思いますが、その中で一番力を発揮でき、一番力を発揮できなくなるのがメンタル、心だと言われています。
どんな選手も心を維持することの工夫や心が乱れたことで失敗した経験を沢山持っていますが、
勝ちを意識して勝期を亡くしたり、自分の実力を出し切れなかったりする姿をよく見ます。
学問もスポーツも何をするにしても人は心が中心なのだと感じますし、心の維持、心の成長を意識して
いきたいと思います。