人が変わるという時には、通過するところがあるように思います。
変化というものは、そのものを受け容れるときにはじまるように思います。そしてその変化を阻害するものが何かといえば、不平不満や不貞腐れるという心の態度のように思います。
なぜそうなるのかというと、自分の思い通りにいかないことからそういう感情が湧きたってくるようにも思います。その感情がひとたび起こるなら、自分の思い通りになることが良いことでそうではないことは悪いことだといった自己中心的な思考に囚われてしまうのです。
これがなぜ変化を阻害するかといえば、そこには深層心理の中に「自分は変わりたくない」という気持ちが働いているように思います。物事や時代や環境は、刻一刻とと変化をして已みません。
今までようやく慣れてきたことも、そのうち変化が大きくなって慣れてきたことを手放さなければなりません。人間はもともとは安定したいものだから変化というものを嫌うのが普通なのかもしれません、自分がようやく変化に馴染んだところでまた変わるのかと思うと億劫になるのも無理はありません。
それは年齢や経験に関係なく、大変だと思っていれば思っているほどに自分は変えたくないのです。自分を変えたくないという気持ちが不平不満につながり、自分の方ではなく他者を変えてしまいたいという欲求から批判もまた発生してくるように思うのです。
人はそのものの変化をどう受け容れるかというものの中に、目的や目標を維持する力があるように思います。そもそも自分が目指しているものは何か、何のために今があるのかを自覚していればしているほどに不平不満ではなく足るを知り、真摯に素直に精進していくことを優先していけるように思います。
感情を包みこむほどの大欲といった志が立つことも克己心につながっているのかもしれません。どちらにせよ、変化できるというのは本来は有難いことのように思います。自分が変化をしなければ自分だけが変化しない人になってしまいます。自分が変化すれば周りの変化の御役に立てるようにも思います。
常に変化を優先していくという生き方というのは、常に円満具足という生き方を実践していくことです。不足することに不平不満ではなく、満ち足りていることに感謝してそれを活かそうと変化を楽しんでいくことのように思います。
人生に変化はつきものです、いくら抵抗してもそれが自然なのだからこの先もずっとその道は途切れません。だからこそどう生きるのかは生き方次第です。自分が変わる事の方が楽しいという境地を体験できるよう自らがまず実践を優先していきたいと思います。
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何か変わろうとしたときにこれまで遣ったことのないことを始めるか、変われない根本を見つけそれを直すかのように思います。「変わる」=「はじめる」のようにはじめることに目が行っていますが、はじめたては新鮮で取り組めますが問題を横に置き換えただけではまた同じと所に陥るのだと思います。小さな変化でも変わるときは両方を同時に遣っているのかもしれません。滞っているときほど客観的に自分を見ていきたいと思います。
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自分では「変わりたい」「変わらなければ」と思っても、実際には、潜在意識に捨てきれないものがあるのか、変化そのものを恐れているのか、肝心なところがそう簡単に変わりません。挑もうとするほど、自分の癖に、相当根強い「保身」を感じます。大きな「見守り」の中にすべてを委ねられるようになりたいものです。既に心の粘土は乾いて固まりつつあるかもしれませんが、どこまでも挑戦し続けたいと思っています。
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自分に矢印を向けて内省しているつもりでしたが、どれだけ今が満ち足りていて価値ある時を過ごせているのかを常に実感出来ていなければ、まだまだ姿勢が弱いのだと感じます。頭での理解よりも心の奥底からの変わるような意識の変化を課していこうと思います。
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生き方自身を変えていこうと取り組むと、今迄やってきたことが引っかかるようになりますが、まさに今、朝練がそうです。休日の朝の過ごし方、忘年会や夜の過ごし方、と色々と今迄通りを保とうとします。しかし、変わると決めた事が何より助けになっています。この変化を受け入れる事で新しい自分に出逢えることや、その喜びを噛み締めて行きたいと思います。