家訓というものをご縁があり深めていると色々なものがあることに気づきます。
有名なのは、上杉謙信、徳川家康、伊達正宗、保科正之など一家を為した人たちが子孫のために訓戒を遺したように思います。一家において、一家を維持継続していくために子孫は何を守るかということを説いているように思うのです。
「創業は易く守成は難し」といいますが、新しく事業を興すことよりもその事業を受け継いで守り続けることにほうが難しいという意味で用いられるものです。
何代も先のことも慮り、どのように生きていくべきかということを自分の代を真摯に生き切る中で得られた叡智を語り継ごうとした姿がそこに観えます。伝える方も必死だったあの時代、生き死にの中で大切なことを伝えようとした重みを感じるものが家訓のように思います。
また江戸時代の藩体制の基礎をつくった藤堂高虎家訓200箇条はとても興味深いものがあります。ご縁のあることから調べていると、正確には204箇条からなる手引きが書かれています。
「第1条 寝屋を出るより其日を死番と可得心かやうに覚悟極る ゆへに物に動する事なし 是可為本意」 (寝室を出る時から、今日は死ぬ番だと心に決めること。そういう覚悟があれば、物に動じない。本来、こうあるべきだ。)
というように死生観、生き方の心得からはじまります。
「第204条 物事聞とも根間すへからす」(物事を聞く時に、根本のことを聞いてはいけない。)
で終わっています。この文章を最後に持ってくるもの、また味があるように思います。細かく具体的にこうするべきであるとしたのは、それだけ大切なことなのだとそれぞれの意味を深めて書き記したものが残っています。
この家訓を読んでみると、その人柄が伝わってくるものもありお会いしていなくてもその思想や願いが伝わってくるからとても不思議な感覚を覚えます。
また何かある時にすぐに思い浮かべるものに柳生家の家訓があります。これは有名なものなので知っている人も多いと思います。
「小才は、縁に会って縁に気づかず。中才は、縁に気づいて縁を生かさず。大才は、袖振り合う縁をも生かす。」
すべてのご縁は活かすものです—とこれはシンプルですが、そのチャンスを活かすということの価値をこの一文で全て語り尽くしています。タイミングを逃さないというものは、君子時中すとあるようにご縁に活きる、活かされているという智慧そのもののことなのかもしれません。
家訓には、大切な現場の智慧が入っていますし伝えようとする側の真心が籠っています。伝承していくことが役割だとしたときに、そこをもう少し奥へと親しんでいきたいと思います。
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「家訓」は家を守るための智慧の結晶です。子孫に対する愛であると同時に、家を潰さないための危機感の現れでもあるのでしょう。周りの家々をみて、何をすると家運が落ち、何をすることで家が没落するかというようなことをよく知っていたようです。「家訓」には、生き方や働き方、それに陥りやすい欲望への警告等が書かれていますが、その家独自のものというよりは、どの家にも共通する普遍的な智慧が多いようです。それは、人類の宝でもあり、伝承すべきもののひとつであると感じます。
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我が家にも家訓は存在しているのだと思いますが一度も聞いたことがありません。家庭のルールはあっても家としてどうかということは聞いたこともなければ、意識したこともなかったように思います。家訓は結束するための一つの指標だったのかもしれません。指標があると守らなければいけないですし大変なのだと思います。自分にとって都合のいい方が楽ですが守るためには守り続けねばならぬこともあるのだと感じました。
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世代を越えて耐え抜いてきた家訓というものと、現代で流行っている誰かの成功事例をもとにした使い捨ての処世術とでは、どれだけ重みが違うのかと考えてしまいます。過去は劣るもの悪いものという否定から途絶えてしまったものを、今一度取り戻さなければならないと感じます。子どもの頃に母方の祖父から言われた「飯粒は一粒も残してはいけない」という言葉が、今でもハッキリと記憶に残っているのは、その些細な言葉の中に大きな教えが込められているからなのでしょう。
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我が家の家訓を作ろうとした時、まだ自分自身がいつも大事にしているわけではないものばかりがあがってきてしまい、困りました。まだまだ家訓と言うには重みが足らないと思い、出したものの中から今大事にしていることを抜き出し、家訓ではなく、眞田家の心構えとして飾りました。
あれから1年半が経ち、やっとひとつ、大事にしている実践と遺したい家訓が見つかりました。
死ぬまでに残したい家訓。今をいかに生きるか。
日々のやり切りと、選ばない実践を大切にして行きたいと思います。