先日、ピンチはチャンスという言葉を改めて考えてみました。
この言葉はよく心に残る言葉として、あらゆるところで用いられピンチと思っているものをチャンスに換えてチャレンジしていくというように使われているように思います。
ネガティブな感情をポジティブに変換しようとするときや、追い詰められた状態から脱しようとするとき、実際は善いことになっているのだと考える時に用いられるように思います。
私はよく禍転じて福となすという言い方の方が好きで、よく「転じる」ということを用います。この転じるという言葉は何かというと、他のものに置き換えるということになるように思います。
例えば、ピンチというのは現状のことで発生してきます。自分の思い通りにいかないことや、大きな壁にぶち当たって動けない状況に陥っています。その時、八方塞になりピンチだと思ってしまいます。つまりはピンチとは、今までの自分では乗り越えられないような人生の障壁に出会ったということです。
こうして自分の方を変化させていくときはいつもピンチに出遭います、相手も状況も変えられずどうしようもない状態に気づいてしまい現実と向き合っていくのです。それは感情的にも精神的にも大変なことで、できない、乗り越えられない、自分には無理だという感覚が迫って来るかのようになります。
そんな時、このピンチの御蔭で自分自身と向き合えるのではないか、ひょっとしたら新しい自分に出会えるのではないか、今まで知らなかったことを知る機会になるのではないかと、その障壁を前に自分の人生と向き合うチャンスにするということです。
つまりはピンチがチャンスなのは、ピンチは今までの自分の人生や生き方、生きざまなどと向き合うチャンスだということであろうと思います。自分に正直に生きていくのが人生の目的だとしたときに、どれだけのピンチに出会ったかというのが運であり縁であり何よりも大切なことであろうと思います。
そういう時に正直に壁にぶち当たり、正直に向き合い、正直に努力する。そうすることで、丸ごと福に転じることができるように思うのです。これは言うは易しで実行は大変困難ですが、最期まで決して諦めないで正面から人生に向き合っていればそれが本気を呼び覚まし、真剣勝負の機会を呼び込み、失敗を母にして自然に発達していくように思います。
子どもが主体的に自由に無限の可能性を発揮し成長するのも思い通りいかないことを乗り越えていく中で自立していくものです。
つまりは、
「ピンチとは、日々に自分の一度きりの尊い人生に真剣に向き合う最幸のチャンスです。」
葛藤の中で、何かのせいにしたり怒っても仕方ありません。真摯に向き合うことばかりですがあの幼い子どもから生き方を学び、そのままの大人のモデルになるようにどんなものでも丸ごと活かし感謝で前進していこうと思います。
コメント
「ピンチ」とは、危ない状況ではあっても、まだ負けている訳ではありません。従って、ピンチの時に取る態度こそが重要です。甘く見過ぎても、恐れ過ぎても対応を間違うでしょう。また、ピンチとは、「今の自分のままでは乗り越えられない」というメッセージであり、裏を返せば、「自分を変えるきっかけ」であり「新しい自分を開発するチャンス」でもあります。「チャンスは、ピンチの顔をしてやってくる」とも言いますが、うまくいかないときこそ、自分の「本気度」と「真剣さ」を見直すチャンスととらえたいと思います。
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新しいことが経て続きに起こると大丈夫だろうかと不安に思うことがあります。ただ振り返るといつもはじめてのことばかりでピンチもチャンスも両面を味わい、同じことを遣る以上に密度の濃い時間を頂いていると感じています。自分に向き合うのは大変ですが機会を活かしていきたいと思います。
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自分の信念に従って生きてきたため、ピンチに出逢うことも多いように思いますが、そのお蔭で成長出来る機会を沢山いただいているように感じます。また、人の性質によってチャンスに転じ難いピンチというものが各々あるように思いますが、だからこそ仲間と共に不足を補いあって乗り越えることに価値があるのだと思います。昨日もある方の楽観がチームに勢いをつけていました。皆がそれぞれチャンスに転じる努力をすれば、チームとしての大きなピンチも必ず乗り越えられるのだと信じています。
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ピンチをチャンスに変えられるのも、今は仲間がいるという一家の存在が何よりも大きいと感じます。この繋がりが、自分以上の力を自分から出させてくれて、そして機会をチャンスと受け取れる力を暮れていると感じます。いつも、多くの存在に見守られている、繋がっているということを自覚して毎日を歩みたいと思います。