オープンマインドという言葉があります。
これは心を開くという意味や、広い心でありのままを見せるという意味もありますが四字熟語では虚心坦懐といって包み隠さず自分を見せる事で、相手に飛び込んでいく力であったり、開心見誠といって自分を偽らず、虚勢を張らず、素直な気持ちで教えを受けて仕事に活かす力であるといいます。
よくオープンマインドと言われる人は、自然体で自分らしい姿があるから人によく可愛がられるものです。自分を理解してもらうのに、ありのままの自分を見てもらうことで周囲がその人のことを理解し、そして自分から理解してもらいやすいようにするのです。
これを自己開示といって、自分から自分の価値観を開示することで周囲に色々な価値観があっていいという広い心を示すようにも思います。
よくチーム力の中に、チームワークを乱すのは心を閉じることだと言われます。クローズマインドです。言い換えれば、この人は、またこの人たちは自分とは違うと決めつけて分けてしまう差別心や固定概念のことです。
そもそも人は異なるのは当たり前ですが、それを丸ごと受け容れているのか差別するのかでは意味が違ってきます。違いを認め合えるというのは、自分を含めあるがままの価値観を広く受け容れるということができているということです。
誰かと何かを共にする場合、違っていてもいいと思えるのはそれぞれの人がそれぞれの個性と価値観があってもいいと認めることからはじまるのです。そこから共通している価値観を探したり、自分の価値観が相手に影響していることを自覚しつながりを共有する歓びを実感するのです。
そしてそれは、相手に求めず自らが自分というものを開示するということであろうと思います。
そうやって自己開示をする人は人に可愛がられます。それは、自分から心を開くことで周りが安心するからです。チームワークには「安心」は何よりも欠かせないキーワードですから、心を開く人がいることでチームの潤滑油になっていきますから周りもその人を重宝していくのでしょう。
これはどの仕事でも必須の能力であり、自分から相手に心を開くことではじめて相手も自分に心を開いてくれるのですから自分を頑なに保持していたらいつまでも相手は自分を認めてはくれないのです。
オープンマインドの本質は、「心は開くためにある」という意味です。
心がなければ別に開く必要もなく、自分の固定概念や価値観を優先して周りを気にせずに好き勝手していればいいのでしょう。それではいつまでも自分の殻の中で閉じこもってしまうことになります。
だからこそ心があるのです。
心とはそのもの自体が世界へと目を見開いている状態であり、現実的に世界に出ようが出まいが、心が開かなければ本当に世界に出たわけではないのです。私も若いころの経験に、自分に見えている世界だけがこの世界だと勘違いしたことがありましたが、世界は心を開いた時にだけ無限に広がっていくのです。裏腹に自分を良く見せようとすればするほどに、それだけ世界が退行し閉じていくのを覚えています。
心を遣うというのは、他人に心を開くということです。心を開いていないで他人に接してもそれでは心を遣っていることにはならないからです。そしてそれは言い換えれば温かい家族のような関わりを拡げていくことのようにも私は思います。心を開いていれば、自然に心が通じ合って共に思いやり分かち合うという素晴らしい関係が築けるように思います。
今は頭でっかちに理性ばかりを偏り発達させている社会ですが、人間として心を遣うことを発展させていくことが幸せの道しるべなのかもしれません。
いつも自分から心を開いて、周囲と接するのは傷つくこともあるかもしれませんが心を育てていけるように実践をしていきたいと思います。
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未だに、語気というか言葉の強い人が苦手です。とがった言葉が突き刺さってくると感じると、急に口を閉ざしてしまいます。この言葉を止めた分、心が閉じていくようです。今日受け取ったあるメールを見ても、同じ反応をしていたことにハッとしました。いつの間にか、警戒心が先走っているかもしれません。しかし、このような状況では、いくら気を遣っても心は通じず、心が通じ合わなければ関係が「真実」ではありません。まだまだです。生き方として精進し直さないといけません。
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ちょっと引っかかった言葉は何かもやもやしたような感覚がありますが、その意味に気づいたとき教えて頂いていることを実感します。とくに身近な存在からの一言にショックにも似た感覚を得るのは、間違いなくその言葉通りなのだと思います。自分の振る舞いを相手を見て決めるのではなく、分け隔てない自分に近づいていきたいと思います。
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自分では心を開いているつもりでも、相手がどう感じているかはわからず難しいなと感じます。時や場所や関係によって自分らしい姿は変わり、そのどれもが偽りのない自分だと思っていますが、それが本当に真実だと言えるのは刷り込みが完全に消えた時なのかもしれません。
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よく喋る時の自分も、上手く入っていけず喋れない自分も、全て自分の精いっぱいの状態だし自然体の自分のような気がします。相手がどう思うか映るかを意識して気遣いできればいいなって思っています。
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心を開く時、やってみると開いてよかったと思えますが、やる前は苦しかったりします。なぜかと振り返ると、結局は自分の感情が引き起こしています。感情が発生している状況は自分の中でいつも気がかりです。それは、心をオープンにしていると頭では思っていても、そうでない時が多いからです。それも、やってみて振り返ってみると分かる事なので、教えなのだと思えますが、何度も教えてもらっているとさすがに申し訳ない気持ちと同時にやるせない悔しさが増してきます。それでもやっぱり、心を開く機会を大切にしていきたいと思います。