価値観を受け止めるというのは、現実を受け容れるということに似ています。
世界は知らずしらずに自分の観念で歪んで見えているもので、ありのままにあるがままに捉えるといことは大変難しいように思います。それは受け容れられない現実が沢山あるのと似ていて、それは人によってそれぞれに異なります。
突然考えもしなかったことが発生したりすれば、それを受け容れるのに時間がかかるものです。その時その時には如何に現実をありのままに受け容れることができるかで価値観は柔軟になっていきます。
自分の思い通りということを繰り返していると、現実逃避してしまうことがあります。希望が強ければ強いほどに、期待が強ければ強いほどに現実が受け容れられずそこを見ないようにと勉めてしまうのです。客観的に見ても受け容れなければそれもまた現実逃避になってしまいます。
好悪感情と向き合い、自分にとって見たくない現実をそのままに観るというのは現実というものを正しく認識するということになります。その時こそ、自己認識を変化させていくキッカケになります。
例えば、若い時は自分の実力を過大評価しますからこんなはずはない、自分はできるはずだと思いたいがゆえにどうしても背伸びして現実から避けてしまうことがあります。しかし実際の自分がどのくらいの力があるのかが分からなければ何の努力が必要なのかが分からなくなるのです。
これは不安や自信のなさからも現実が離れてしまいますが、現実を知るところができるなら自ずから実力を磨いていくことができるのです。どうしようもない現実に出会ったとき、人ははじめて強くなります。その現実をありのままに受け容れて、自分というものを知ることが自分を変化させていくということなのかもしれません。
自分の価値をどれだけ正直に理解するか、それが素直ということなのかもしれません。認めることも受け止めることも受け容れることも、謙虚でなければできないことです。現実はいつも助けてくださっている周りの見守りを実感できるものですから現実を知るのは自分の傲慢を知るということかもしれません。
現実の有難さ勿体なさに気づいて日々を感謝で歩ませていただきたいと思います。
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装うことのできない頭の痛みに素の姿が現れます。受け入れ難い体の不調も鬼と一緒に一挙に引き受けたと思えば容易いものですが痛みを日中感じ続けていました。しかし、重ね煮のスープに加えた塩味が妙に利き、治ったような気を感じさせるのも体からのサインです。本に書いてあるテクニックどうにかする以前に、生活面を見直すことからはじめたいと思います。【●】
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「現実」を「受け容れ難い」と思う段階で、既に感情的になっており、自分の方の歪みが見えてきます。「現実」の見え方は相対的です。自分次第で、大変に見えたり大したことなく見えたり、あるいは、厳しく見えたり甘く見えたりするものです。この現実を「過大でもなく過小でもなく、ありのまま受け取る」には、自己理解を正さなければなりません。そのためには、「自分の分」を知って、無理をせず、焦らず急がず、やるべきことに集中する。そんな「等身大の生き方」に徹する必要がありそうです。
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今までの人生で器用に生きてきたと感じることはありません。だから今の自分が持っている技術・能力はあまり過信していませんが、不器用さにも負けず挫けずにいつも自分を支えてくれた「心」のことは信じることが出来ています。これからも心を信頼して一から挑戦する自分らしい生き方を楽しんでいきたいと思います。
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価値観は挑戦しなければ壊れる必要も機会も出てこない様に感じます。挑戦するからこそうまく行かず、それでも挑戦するから、自分の価値観に気付き、価値観を変えてみようと進めるのだと感じます。今の自分自身は、周りを見渡すこと、配慮、段取り、全体を考えることが課題として頂いており、今年のテーマの一文字の恕と重なります。これこそ自分の価値観が向き合わない分野だと感じますが、頂いた機会を軸足に親しんで行きたいと思います。