チャレンジ精神

人ははじめて何かを行う時には緊張します。それは自分がうまくできるかが分からない、経験がないからこそ考え過ぎてしまうのです。

この考え過ぎるというのは、頭ばかりが先に動いている状態のことを言います。つまりは考えるというのはどこか自然体ではなくバランスを崩した状態ということです。

新人の時というのは、ミスをたくさんするものです。なぜならミスをするのは、練習不足だからです。ミスというのは、本番で改善するところがあるということでありそれを何度も修正することではじめてミスがなくなってくるのです。

つまりはミスとは、真剣勝負を積みかさて気づけた自分にとって必要な課題ということです。新人の時はミスを沢山した方が善いというのはそれだけ課題をたくさん発見できるということだからです。よく失敗例にプライドばかり高くなって本気になれないというのは、自分を守り過ぎる恐れや不安からくるのです。これもそういう自己独善中心的な発想そのものを取り除く練習が必用だという課題に出会えるのです。

このようにミスを怖がって避けていたらいつまでも上達しなくなるのは、課題をいつまでも見つけることができないからです。ミスを誤魔化してしまうと、そのミスをまた別のミスで補うようになるだけでいつまでも改善されることがありません。見直すという字は、改めてまた観るということですからやった経験からそれを見つめて直すことではじめて上達になるのです。考え過ぎるのは練習不足、経験不足ということなのです。

そしてこの考え過ぎるという状況を脱するには、この練習をしっかり積む他に如何に緊張しないかという場数を踏み自分自身の緊張を乗り越える工夫を積まなければなりません。例えば、結果をあまり気にしないで善い仕事になるように努力するとか、いつもの自分のペースで取り組むとか、自分が自分自身を乱さないようにと留意して自分が最高のパフォーマンスを発揮できる状態を創る必要があるのです。

ほとんどのスポーツや仕事などは、最初の段階の緊張、そして実力が備わってきてからくるプレッシャーとの正対です。新人の時に沢山の経験をして失敗をたくさんすることが、将来訪れるプレッシャーを乗り越えていくための基礎になっていくように私は思います。

リーダーやエースなどは、プレッシャーに晒されていきますがその中でも楽しめたり子どものような感受性と遊び心で何でもプラスに転じていくにも、この失敗を乗り越えて強くなった経験が支えになっていくからです。

失敗を怖がってはいけません、ミスすることを恐れてはいけません。それは強くなるということ、逞しく生きていくということを学ぶことだからです。

挑戦をするというのは、失敗をするということです。子ども達のためにも失敗の中にこそ至玉の教え、研鑽錬磨の鑢があるのだと念じてさらなるチャレンジ精神のままに楽しんでいきたいと思います。

  1. コメント

    チャレンジしている姿は自分には映らないのかもしれませんが、人のチャンレンジする姿、オリンピックの舞台で活躍する選手もそうですが、身近のクルーからもどれだけ勇気を頂いているだろうかと思うと計り知れません。頂いてばかりの自分に恥ずかしくなり遣った気に浸っている暇もありません。「世界のエリートの『失敗力』」という1冊の本を手に取ろうかとも思いましたが思い止まり、1冊の本よりも日々身の回りで起きている自分の失敗を直視して、本の内容よりも濃い体験を次への糧にする自分になりたいと思います。【●】

  2. コメント

    チャレンジしようと思うこと自体が、プレッシャーへの対応のひとつであり、人間としての成長の第一歩ですが、チャレンジした結果にめげない姿勢こそが、技術的にも精神的にもさらに大きな成長を生みます。失敗しても倒れても諦めず、何度でもチャレンジする精神が大事です。うまくいかないときの態度を間違わないようにしないといけません。

  3. コメント

    過去の恥の経験は今でも鮮明に思い出すことが出来ます。その瞬間は辛さを感じましたが、上司やお客様からの励ましをいただき、育てていただいている有難さを実感しました。子どもを見れば全てがチャレンジばかりです。もっと純粋に成長する方を求めていきたいと思います。

  4. コメント

    昨日、妻の夢を聴く機会がありました。それは、妻だけでなく、私にとっても挑戦が待ち構えていることです。ふと自分自身を離れて見てみると
    瞬間瞬間に挑戦のチャンスを頂いていることに気づきます。仕事に限らず、今頂いているこの機会をしっかりと受け取らせて頂き、取り組んで行きたいと思います。

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