人間は、世界を広くもできるし狭くもできるものです。
どれくらいの大きさ、どれくらいの視野であるかは、その人の考え方によっても変わってきます。それは単に、経験が豊富だから広く未経験だから狭いというわけではありませんし、知識が豊富だから広くないから狭いというわけではないように思います。
なぜなら、広さというものは単に広い狭いという意味ではなく「寛容」であるということだからです。
人はどのような時に寛容で、どのような時がそうでないかと考えてみればすぐに理解できます。例えば、自分善がりになっているときは他人の話を斜に構えて聞いていますから受け容れる気がありません。そうなると自然に狭い心になり、自分の殻に閉じこもってしまうものです。逆に、自分善がりではなく至善に止まるときは他人の話を受容していますから自然に寛い心になっているのです。
本来の心というものは、とても広大無辺であり宇宙万物の全てを寛容する存在です。
この世にあるものはすべて受け容れるのは、この世のすべてとつながっているからです。
つながっているというのは、自他一体、言い換えれば心一体に調和しているということです。全てのものが一つにまとまっているというのが自然であり、その自然のままの心と体があるがままになったことを素直や正直というのでしょう。
人間は如何に受け止めるか、受け容れるかで自分の器を寛げていくことができるのです。だからこそ素直になる必要があり、正直になる価値があるのです。
自分の器は、一緒に実践してくださる人や、自分のことを真底心配し思いやり導いてくれる伴たちによって開かれていくのかもしれません。そう思えば出会いこそが、その人を真に成長させてくれるのかもしれません。
頑なに自分を守り、無理をして我慢をするよりも、現実を受けとめてそれをどのようにチャンスにして転換していくのかが人生の醍醐味なのでしょう。
広さということの本質を学べば、人間が発達するという意味が理解できます。心を常に寛く広げ、心を常に明るく元気に日々を精進していきたいと思います。
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「うん、はい、分かりました」。返事だけでは素直とは程遠かったのだと実感しています。今にして思えば、なぜそこに気が付かなかったのかと思いますが今がその時期だったのだとも思います。返事よりも大切なことを掴んだ感覚を放さぬよう、この感覚を大事にしていきたいと思います。【〇】
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体調を崩しても心が素直だとたくさんの元気を頂いていることに気付くことができます。
今週、体調は崩れましたが心は元気で、
子ども達と久しぶりにたくさんの話をしました。
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この一年間を振り返ると、全体会議も一家として変わり続け、世界が変わるというよりも、世界を見る目を変えてもらえた一年間であったと感じます。この繋がりをいつまでも大切にして行きたいと思います。
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「自分」というものを意識する程度に応じて、「心の大きさ」は変わるように感じます。それは「豊かさ」の違いでもあります。「自己中心」であればあるほど、「自分」にこだわるほど、「自我」を振り回すほど、狭く、貧しく、不自由な世界に生きることになります。本来は、寛く、豊かで、自由な世界を、どれくらい豊かに感じながら生きられるか?!そこを試されているのでしょう。まだまだ小さな世界を出たり入ったりしているようです。
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いつの頃からか、体を鍛えたり能力を伸ばすよりも、心を高めることが人生の目的の一つと思えるようになりました。その上でやはり大きいのは子どもの存在です。子どもと接していると失っていた正直さや素直さを取り戻していけるような感覚を覚えます。現実としては世の中をそのまま純粋に生きていくことは難しいと思いますが、