自分らしさというものを守るというのは信念が必用です。
人は自分らしさを優先するよりも、周りに迎合していく方が楽になっていくものです。それは周りと同じことをやっている方が安心するからです。自分が人と違うということを受け止めるということができなくなるのは幼い頃よりも周りと同じになることを求めるような社会や教育を施されてきたからとも言えます。
もしも幼い頃より、違って当たり前という社会に居れば違うということは自分らしさになるのだからそれを大事に自分で守っていくことができるからです。
多様性というものは、本来、そのものがそのままでいいということ、つまりはあるがままが自然であるということを認める生き方のことです。自分の中にある天から与えられた普遍的ないのちの形をそのままに生き切る時、人はこの世の中で使命を果たしたと実感できるものなのかもしれません。
産まれながらにして、何かその人は遣りたいことがあるということは自明の理です。それは子どもでもお年寄りでも、自分らしく生きている人はこの世に生がある限りその目的に邁進しています。
孔子も仏陀も聖徳太子も、何かを為したから偉業なのではなく自分らしく生きぬいたことが真の偉業なのかもしれません。
他人と異なる道を歩むと決めたら、その瞬間から様々な困難が降り注いできます。私も自分で決めた道を往こうとすれば、今までできていたことが途端にできなくなりました。それに周りも秩序を乱すような行いをすることに対して非常に冷淡な対応に変わってきました。
それでも動機が自分のためではなく、これをすることが世のため人のためという思いだけは誰よりも強く持ちましたから理解くださる方々の有難い真心と思いやりで少しずつ進むことができています。
そう考えると、自分の信念を鍛えてくださったり、助けてくださったりと、見守りの中で育ててくださった人たちの御蔭様で今があるのも明白です。御恩返しというものは、自分らしく活かすことでお世話になっている方々へ真心を盡していくことなのでしょう。
自分らしく生きることで出会いがより豊かになります。
個性を尊重して、他を尊敬して子ども達のためにも歩んでいきたいと思います。
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還暦祝いでの会場探しはセミナーの会場探しと遣っていることは同じでも、実施目的が違うと工夫が生まれることを感じています。過去の経験がそうさせたのか、今回の趣旨がそうさせたのかは分かりませんが、先生から教わったことが時間を経て体に浸みこんできたのかもしれません。還暦のお祝いが出来るのも先生がいるからであり、役割や機会を頂いていることに感謝しこれまでの恩を少しでもお返しできるよう、役割を務めさせていただきたいと思います。【〇】
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「自分らしい」とは、「自分の信念を貫く」ということです。「信念を貫く」のであって、「自分」を出すのでありません。「自分らしく生きられない」ときは、「信念を貫けない自分」が問題なのではなく、「貫くだけの信念に弱さやブレがある」ことが問題なのでしょう。我が儘勝手な人間を承知で、信念に付き合ってくれる人がいることを有難く思っています。
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自分らしさが分からずに生きている時は、生きているようで実は生きられていないように思います。本来あった自分らしさを失い後からそれを探し求めるような人が現実には多いように感じますが、もっと早くに皆が信念を持って生きられる世になってくれることを願います。自分が一つのモデルとなれるよう努力していきたいと思います。
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昔からの友人の中には、今の自分の働き方を気に食わないと思っている友人がいると思っていましたが、それは私自身が「分かってもらえないだろう」「分かってもらうのは骨が折れる」と信念を正しく存分に伝えない選択をしているのだと気付かせて頂きました。また、一回で分かってもらおうとしている部分もあります。信念を貫く機会を頂いていると思うと、感謝の気持ちが湧き出ますが、その場では出てこなかったため、申し訳ない気分です。
この傲慢さ、条件で出し入れする信念に対して、改めて行きたいと思います。