色々な体験というものは自分の価値観の世界を拡げてくれるものです。ここでの世界というのは言い換えれば自分が観ている世界ということです。
人は自分が観ている通りに世界のことを観ています。自分が観たいものだけを観て、自分が聴きたいことだけを聴くのです。
だからこそ、自分がどう観えているのか、どう聴こえているのかを客観的に観照し理解することで自分の今の世界観を知ることができてきます。その今の世界観は、同体験をした人達の感想や、一緒に何かを行う人たちの価値観を共有することでそれを感じることができるのです。
同体験を一緒にするというのは、共感する力が必要です。いくら同じ場に同じように過ごしても、共感して尊敬しあって学び合っていないのでは同体験を一緒に体験することにならないからです。
人は相手がどう思っているのだろうかと、自分以外の世界観を知ろうとするときはじめて自分の殻を破って飛び出していくものです。自分の殻を破るためには、知らないことを体験する勇気が必要です。そしてそこには、共にそれを一緒に味わってくれる仲間や友人、家族などの共感するパートナーがいるのです。
人は無意識に自分の思い込みで面白くないだろうとか、苦しいだろうとか、もしくは楽しいだろうとか嬉しいだろうとか独りよがりになっているものです。それを共にやろうや、一緒にやろうといった自他一体の境地になれば新しいことを常に学び続けることができるように思います。
世界観は、人との出会いと触れ合いによって変化していくものですから自分の世界だけで物事を観ずに、相手の立場で思いやり物事を観てみるとか、一緒にそれを学び合おうと尊敬と尊重で関わるときに自分の変化を実感するのです。
共感を磨くことは、自分の変化を磨いていくことです。
色々な人たちの体験を共にしつつ、同時に自分の変化を磨き続けていきたいと思います。
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同体験をしたとき程、気付きが顕著に現れ学ぶことの多さを感じます。自宅に戻り防災バックを見てみるとすでに賞味期限の過ぎた非常食、緊急時に使うはずの電池の封が切ってあったりと心もとない装備品となっていました。食料や水など改めて万が一に備え購入しなおしましたが、あの時からこの3年間一体何を学んできたのかと思いが巡ります。子どもたちの発言には驚かされるばかりと感じた自分自身の言動を戒めていきたいと思います。【○】
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自分の「共感ポイント」は、いつも同じであり、偏っているかもしれません。これでは、せっかくの体験が生かされず、変化につながりません。それは、「自分の立ち位置」がいつも一緒だからでしょう。まだまだ、「自分の席」に座ったまま、世界を見ているようです。「自分の立場」を決めないで付き合う勇気が必要です。
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昨日は偉業を達成したクルーが帰ってきましたが、その姿からとても清々しさを感じました。体験したからこそ分かる感覚があると思えば、自分の姿勢がより強く共感できる状態にないと、折角の貴重なお話も勿体ないと思えます。頭で考えたり感覚で捉える「きっとこうだろう」の共感よりも、少しでも実際に行動してそこから感じ取る共感を大切にしていきたいと思います。
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共感してもらう事よりも、共感できる自分で居ること、少しでもお役に立てる自分で居ることに喜びを感じています。また、共感できない時、自分自身にどんな偏見や排他する気持ちがあるのかと
苦しみを覚えています。一生懸命共感しようとするのではなく、どこに自分の刷り込みや受容できないこだわりがあるのか。
その部分を見つめて磨いて行きたいと思います。