人間は、自分の成長を邪魔するのに気性に振り回されるというのがあります。この気性というのは、意地のことで自らの感情塊のことです。
成長を邪魔してしまう代表に他人のせいにするというのがあります。自分にとって都合の悪いことをつい誰か他人の性にしてしまうことで、本来の自分の性に気づけなくなります。もしくは自分のせいだと自分を過度に責めすぎるのもそれは単に自分の性だからと仕方がないと努力して改善することもせずに諦めてしまったりします。
本来は、気性というものは気象と同じく変化融合を繰り返すものであり、天気と同じように晴れたり曇ったりとバランスを維持しているものです。そういう天候の変化の中でも、どのように自分側が変わっていくか、自分側を内省していくかでその気性とのバランスを維持していくことになるのです。
例えば、他人のせいにせず、自分のせいにもしない、自分を常に高め続けるというものがあります。これを私は内省と呼び、自分に省みて心を磨けば自ずから人格が高まっていきます。人格が高まれば、穏やかな判断がどのような状況下においても心静かにできるようになるからです。
実際はとても難しく、できるときとできないときがあります。特に体調の変化や精神的な辛さ、心の痛みなどに反応してとても心静かにということにはなりにくいものです。人は自分のことを一杯なればなるほどに頑なになりちっぽけになってしまいます。
そういう時こそ、自分以外の周りに支えられていることへ感謝し行動できたり、誰か自分と同じような痛みや苦しみを持つ人たちの役に立ったりとできるチャンスも来ていると考えるのです。
すると、自分の気性が環境と合間って自分がブレナイで理念や信念を実践できるようになってくるのかもしれません。実際は、目ばかり発達してしまっている今の社会ですから心が出にくいですが心はいつも思いやることで目を開いていくように思います。
そしていつも心の眼が開いていく状態でいるには、内省し続ける努力によって心を高めていくしかないように思います。内省するというのは、基盤に感謝が根付き、尊敬が育ち、信頼が実になり、努力が花開き、真心の種を蒔くというように人間を高めていけます。
内省の価値というものは、自分自身の本来の天性を活かそうとする働きなのかもしれません。
気性も天性ですから、その天性を活かすにはその心が高め続ける努力があってこそなのでしょう。天気の調和も自然ですから常に自他を一体に思いやり、日々の実践を積み上げていくことで心身調和していけるように精進していきたいと思います。
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「保身」が働いてしまうと、自己防衛のための「言い訳」や「正当化」をしてしまいます。しかし、問題なのは、言い訳や正当化につながるような「とらえ方、考え方」の方です。「内省」は、「正直」や「素直」という態度によって、この「とらえ方、考え方」の歪みを正すことでもあるでしょう。自己防衛の気持ちを放下し、もっと大いなるものと一体となれるように精進したいと思っています。
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人のせいにして自分のせいにはしていない、まだまだのようです。ふと、傲慢な態度を取っていないかと自分にドキッとすることがあり、思い浮かぶ言動を戒めなければ、以前の二の舞になると感じています。以前掛けられた言葉がフラッシュバックして聞いた直後より突き刺さるのは今の方がその意図することが分かるようになったからかもしれません。内省に近づけるよう精進していきたいと思います。【●】
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心の深層にある激しい気性が自分を急き立てることが多いですが、必ず出来ると信じているからこそ、それが自分自身を鼓舞する力に変換されているのだと思います。仲間からの有難い見守りがあるからこそ、感謝してもそれに甘えず、自分で決断し自分を信じて成長していきたいと思います。
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気性と気象を同じく見るという発想に感動しました。確かに局地的に視れば雨の日もあれば晴れの日もあり、大局で見ればそこで雨が降っているという事はどこかが晴れているという事。自分の気性も大局で見ていきながら、まるごととして観て、人の所為にも自分の所為にもせずにいられる境地に、、、まだまだですが、行ってみたいです。