自分の人生というものを考える時、自分をどのように守っていくかは自分次第でもあります。
色々な環境下の中、時として自分の生き方というものを見つめる時があります。
それは自分はどのように生きて活きたいか、そして自分は何を大切にしているのかを自覚するのです。そうして自覚したものが、何よりも大切であるならばそれを守ろうと人は真剣に人生と正対していくのでしょう。
その時、その時に同じような生き方を貫いている方々に出会えるというのは幸運かもしれません。
人はどこか自分で先に生き方を妥協して周囲に迎合する方を選んでしまうと、その時点から自らの性格が歪んでいくものです。本来の性格が素直にならないのは、自分の遣りたいことをやらなくなるからでしょう。
自分の遣りたいことが保障されるということの価値というものは、自分自身の存在を丸ごと認めてもらえる人と環境があるということです。
そういう人に出会い、そういう環境の中に過ごさせていただけるということは自分という人生を生き、そして自分という生き方に活かされるという自然とのつながりに感謝できる今に棲んでいることを実感するのです。
人は自分というものを守るのは結局は自分自身なのかもしれません。
なぜなら、人は産まれてきては心の奥底で感謝があるからこそ自分のいのちを何かに役立てたいと祈るからです。その祈りをやめないからこそ、生き方に出会い、生き方を優先しようとする勇気につながるのです。
思い返せば私も師と出会い、大切な生き方を守っていただきました。
そしてその上で、自らの性格を直すための人生の課題をも同時にいただきました。
今度は自分の周りの生き方を守ることをさせていただけるようにもなりました。
このような邂逅をいただけるのは、全てにおいて「生き方」を優先できたからかもしれません。
自立していくということは、自分の脚でちゃんと立つということでしょう。
今は足取りが覚束なくてもいつかは必ず立派に自分で立てる日が来ます。
いつまでも安心基地になり子どもが巣立っていくのを応援していきたいと思います。
有難うございます。
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周りの人たちの声や環境の圧力に妥協して、自分の生き方を曲げてきたことに気づき、途中から方向転換しましたが、未だに常識という影に惑わされるところがあります。自分の生き方を貫く環境は、自分で創り出すしかありません。ひたすら自分に正直であり続けたいと思います。
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今遣れることと言えば後回しにしようと思っていることにすぐにすることです。難しい訳でも何でもないことを明日の朝までに延ばすかどうかといったことですが、つまりこの繰り返しが集約された今なのかもしれません。先延ばしは運を逃すことなのかもしれないと感じるのは、見えない何かに支えられていることを感じているからかもしれません。身の周りは整える当たり前のことを当たり前にやりたいと思います。【●】
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「自らの決断」それしかないのだと思います。ここからしか何も始まらないのだと思います。成功の喜びも失敗の悔しさも絶好調の時も不甲斐ない時も、自分で選んだからこそ受けとめ味わうことが出来るのでしょう。生み育ててもらえたことに感謝して、自らの責任で生きたいと思います。
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入社から沢山の方々に指導、アドバイスを頂きならがらも、中々頂いた声を丸ごと受け入れられず、丸ごとすぐに実践出来ず、分からずと言った日々が続いていましたが、それを少しづつ実践出来るようになったのは、生き方を自分が自分で決めることができたからだと感じます。基本は自分が自分で決めること、そうは頭では分かっていたように感じますが、基本と応用に常に苦しんでいました。これからもあるかと思いますが、基本と応用を間違えずに歩みたいと思います。