人間には何よりも大切な宝として好奇心というものがあります。
この好奇心というものがある限り、私たちは自然から離れることはありません。
子どもの心は純粋で無垢です。
この純粋と無垢とは何かといえば、好奇心を持っているということです。
好奇心というのは、自然に触れたいと思う心。自然と一体になりたいという心。自然を愛でたいという心です。つまりは五感を超越した第六感ともいえるもので、いのちの正体です。
いのちというものは、感じることで活き活きしていきます。
もしも無感動無関心になるとしたら、好奇心を苛まれる枠組みや常識によって本来のいのちが閉じ込められることで発生しているといっても過言ではないと思います。人は好奇心を失わない限り永遠に光り輝き続け、そしていのちの灯を炎々と燃やし続けることができるからです。
今の社會は好奇心というものをあまり大切にしていないように思います。
その好奇心を守るのは自分自身です。
如何に面白く楽しい日々を送っていくか、それは自分の生き方によります。そしてその生き方の根幹に「感じる」という力をどれだけ養うか、目には視えないものをどれだけ実感しているか、すべてのものにいのちがあるという感覚をどれだけ研ぎ澄ませているかで変わって来るようにも私は思うのです。
三つ子の魂とは何かといえば、私は好奇心のことであると定義します。
大宇宙の中で、地球の一部として活かされているこのいのちが、そのいのちの顕現である子どもたちが、いつまでも子どもたちらしくそのままでいられるような社會にしていきたいと思います。
引き続き、社業にいのちを懸けて実践していこうと思います。
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いつの間にか、純粋な「好奇心」を失っているというか、学ぶことでその「好奇心」を消してしまっているかもしれません。学べば学ぶほど「好奇心」がなくなることは、ほんとうに注意が必要だと感じます。もう一度、「ワクワク」「ドキドキ」の世界を取り戻したいものです。まずは、自分に残っている「好奇心」をごまかさず、大切にし、その「好奇心」に素直に従って動いてみようと思います。
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一日に何度わくわくする機会は刺激的で、好奇心はみんなで育んでいくことが出来ると感じました。何かやろうとしたときに出来ないではなく、どうしたらできるのか、作り上げられるのかは一緒に手を動かしてくれる仲間が次の好奇心を呼んでいるように思います。遣りたいと思うことは感情に正直にありたいと思います。【〇】
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長い間の習慣のため自分のことではイメージし難いですが、子どものことなら良くわかるように思います。好奇心から生まれた意欲ある学びをさせてあげるか、学びから入って意欲を持たせるか。よく子どもの声を聴いて、本人の好奇心から学びを拡げてあげたいと思います。同じのように「自分はどうか?」と心に問いていきたいと思います。
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父や母が残してくれた自然観を自分自身も子ども達に引き継いで行きたいと思います。いつも自然の一部として生きている事実を忘れてしまいがちですが、子ども達と触れているとこちらが自然を感じることを思うと、引き継ぐというより、元々持っている自然観を削がないことが大切なのかもしれません。あるがままを信じ、自分自身もまた、あるがままに自然と生きたいと思います。